中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

立派な女性「山口百恵」さん

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

先日、山口百恵さんの最後の武道館コンサートを観る機会がありました。

昔から百恵さんについては、ご本人の言動や生き様に共感を覚え、尊敬する

女性の一人でしたので、興味深く拝見していました。

今回はそのことについて勝手に語ってみたいと思います。

 

このコンサートでは、百恵さんの結婚が決まって、最後のコンサートに

なるのですが、その百恵さんの表情を見ていて

 

 「浮ついたところがない、誠実な方なんだな」と思いました。

 

このコンサートでは最後の曲を歌いきり、その歌っていたマイクを床に

置いて去っていかれる、という有名なところがあります。

 

つまり「もう二度と戻ってきません、これで歌手は終わります」

 

ということなのでしょう。

 

それを見ていて百恵さんて、まだこのとき21歳(若い!)なんだけど、

その潔さ、そしてその覚悟に大変共感しました。

結婚するのが決まって家庭に入るので、築いてきた地位も名誉も全て捨てて、

去っていく。

なかなかできないですよね。

まあ時代もあるのかもしれませんが。

 

この姿を見て、その人のひととなりがわかりますよね。

 

そして、一人の女性として「立派な方」だなと思いました。

だから、タイトルを「立派な女性」としたのです。

百恵さんを語るとき、生半可な軽い言葉を使えないなと思いましたので、

自分なりに考え、当てはまる言葉としては

「立派」「誠実」「覚悟」

を持っておられる方だなと思いました。

 

自分の決めた道を、本気になってまっすぐに進んで行く。

臨めばいつでも復帰できるし、お金も稼ごうと思えばどれだけでも

稼げる。

でも、それをしない。

 そこに、一人の女性・人間として素晴らしいと思うのです。

 ただし、百恵さんもその後家庭に入って子供ができ、学校に通わせるように

なると、マスコミ各社が執拗に取材しようとして、子供にも迷惑をこうむるよう

になってしまうという状況になりました。

芸能界を引退し一般人になった人間に対しても情け容赦なく取材しようとする、

金儲け主義のマスコミのやり方は、本当に情けないですよね。

 報道の自由とかなんとか理屈をつけて。

 

 

それでは余談になりますが、私が知っている 百恵さんのエピソードや

小話なども書いてみますね🌌

 

例えば歌手の中森明菜さんは山口百恵に憧れていたのは有名な話しで、

明菜さんのその話し方や仕草、歌い方などは影響を受けていることは、

見ていてよくわかります。

 その他としては・・・

 

エピソードその1 「スカンク」

 ある著名なバンドマスター(バンマス)の方が語っていた百恵さんの

思い出話しですが、あるテレビの放送で、百恵さんが歌う前に、動物

のスカンクを使ったコントが何かをやったらしいのですが、その結果会場には

かなり臭い異臭が漂っていた・・・(半端なかったそう)

 

しかし、その後百恵さんは、その異臭の中でも表情一つ変えず、最後まで

歌いきったのでした。指揮しながら、それを見ていたバンドマスター

「本物のプロだな」と感心したそうです。

 

 

 エピソード2 郷ひろみ

 ある歌番組で、百恵さんのことを聞かれた郷ひろみさんは、百恵さんの

ことを

「百恵ちゃんは昔から肝が据わっている」と語っていました。

よく言い表している言葉だと思います。

 

 

エピソードその3 「いい日旅立ち」誕生秘話

シンガーソングライターで、「いい日旅立ち」を作詞作曲された

谷村新司さんが、この曲のエピソードを語っていました。

 

谷村さん「ある時、この曲がまさに突然降りてきたんだ。

で、その出来立ての状態で、百恵ちゃんに早速電話で自分が歌ってみて、

どうかな?なんてやり取りをしたんだ」

ということでした。

 

 

 

さて、その「いい日旅立ち」という曲は、百恵さんご本人も好きな曲

と仰っておられますし、私も大変好きな曲です。

聴いていてその情景が浮かんでくるようだし、やはり3月の卒業シーズン

にもピッタリの曲だとも思います。 

 年代としては私が小学生の頃に百恵さんがテレビで歌っていたという記憶

 がありますが、本当に名曲ですよね。

 では、よかったら聴いてみてください。

 

 

さてYOU TUBEでいろいろ検索していたら、素晴らしい動画を見つけました。

見ていたら思わず泣いてしまいましたが・・・

よろしければご覧ください ☟

 

 

以上、長くなりましたが自分の感覚で百恵さんについて色々と語ってみました。

あの地に足がついた百恵さんの生き方を知ることができたことは、自分にとっては

収穫であったなと思いました。

現在百恵さんは、夫の友和さんの御両親の介護をされているそうです。

いつまでも、まっすぐに道を進んでいかれる方なんですね。

 

 

 

仁徳天皇 「民のかまど」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

 

 

今回は、有名な新古今和歌集707の和歌「民のかまど」

をご紹介いたします。

 

 

「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 

民のかまどは にぎはひにけり」

 

なぜ、この和歌をご紹介したかといいますと、古代は天皇が政治と

祭祀を司っていた=祭政一致、という歴史があります。

 

政 まつりごと (国内の政治を行う)

祭 まつりごと (祭祀を行う)

 

両方をそう読んでいました。

日本国の象徴である、天皇の歴史において、それこそ象徴的なエピソード

といえば、この「民のかまど」の話しがあります。

 

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●「民のかまど」とは

 

古事記より~

天皇は高い山に登って四方の国を見て「国の中に煙が経っていないのは、国が

貧しいからだ。今から三年間人民の税負担を免除せよ」と命じた。そのため

宮殿は壊れて雨漏りがしても修理せず、箱で雨水を受けるし、雨漏りして

いないところに移ったりしていた。

 

続きはー『日本書紀』から

その後、気候が順調で五穀豊穣。三年間で民衆は豊かになり、徳を称える声

が満ち溢れて、炊事の煙ももくもくあがった。

 

さて、天皇が高台にいて遠くを望むと、煙が盛んにあがっている。その日

天皇は皇后に語った。

 

天皇「私は豊かだ。憂い事はない」

皇后「どこが豊かでしょうか」

天皇「煙が国に満ちている。人民が富んでいる」

皇后「でも宮の垣は壊れて修理もできない。屋根は破れて衣服が濡れます。

どうして豊かといえましょう?」

天皇「天が君主を立てるのは人民のためだ。だから君主は人民を本とする

のだ。ということで、昔の聖王は人民が一人でも飢え凍えていたら、わが身

を責めたのだ。

今人民が貧しいのは私が貧しいことであり、人民が富んでいるのは私が

富んでいるということである。未だかつて、人民が富んでいて君主が

貧しいということはない」と仰せになりました。

 

 

以上、仁徳天皇は三年間の租税免除を通して、人民を救おうとされました。

でもご自身の宮殿はボロボロとなり、国庫も空の状態でした。

 

以前に上げました記事の中で、西洋の君主・国王と日本の天皇の違いについて

書きましたが、ここなのです。

 

西洋の国王や皇帝の多くは、贅沢をし、私腹を肥やし、その結果民に襲われ

ないように城の塀を高くし、我が身や家族の身の安全を確保しようとして

きました。

一方、京都御所の塀はとても低く、誰でもすぐ越えれる 高さしかありません。

それは、民に襲われる心配がないからです。

 

 

なぜなら歴代天皇は、疫病が流行ったり、飢饉となると

「責めはわれ一人にあり」

として、ご自身の不徳のなさを神々に詫び、そして神々に民が救われる

ように祈りを捧げられてきたのです。

そして民のことを「おおみたから」とも呼んでいました。

それは民の父母のごとく、民を我が子のように思うからこそ出たことば

だといえましょう。

 

これが、日本の政治の原点であり、日本国の象徴的な姿であるといえる

と思います。そして日本国を統合し、天皇と国民をつなげている

ものであるともいえるでしょう。

 

 

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一番最初の天皇 神武天皇  ⑩

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の10回目です。

 

 

 <前回の続きから> 

 

 古事記より

《其の国より上り幸(い)でます時に、亀の甲に乗り、釣り為(し)つつ

打ち羽挙(はふ)き来る人、速吸門(はやすひのと)に遇う》

吉備国を出発した神武天皇。上記の速吸門は日本書紀では速吸之門と

書かれ、豊予海峡を指し、古事記では明石海峡として書かれています。

 

日本書紀より

《方(まつ)に難波(なには)の碕(みさき)に至るときに、奔潮(はやなみ)

有りて太(はなは)だ急(はや)きに会う》

 

《因りて名(なづ)けて浪速国(なみはやくに)と為(い)う。亦(また)

浪花(なにはな)と曰(い)う。今し難波と謂(い)へるは訛(よこなま)

れるなり》

 

上陸したイハレビコ(神武天皇)はこの地(大阪の難波)に、生島大神

いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)を祭った。

「生玉(いくたま)さんとして有名な生国魂神社(いくくにたまじんじゃ・

大阪市天王寺区)の起源です。

同神社は豊臣秀吉大阪城築城まで、海に近い上町台地の北端に鎮座

していたということです。

 

生國魂神社

(写真は生国魂神社HPよりお借りしました)

 

詳しくはこちらからどうぞ 

 

ikutamajinja.jp

 

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

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城所ケイジさんの龍神像  16

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回も元チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジさんのブログから

の転載です。

少々昔の記事です。

 

 

 

2012年最後の龍神様

2013年01月02日 | 最新作品紹介
2012年12月9,13,14,16日の4日間で仕上げた締めを飾る龍神様です。
神戸市の東谷口製袋所様からの特別オーダーです。
2つの玉を抱いた龍神様です。









 
 

尾張式内社を訪ねて 72 大野神社

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「大野神社」です。

 

愛知県一宮市浅井町大野郷東1042

 

御祭神

誉田別命(ほむだわけのみこと)

 

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楽殿

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拝殿

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御本殿の様子

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境内末社

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百度石かな?

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一礼 ありがとうございました

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明治維新前は八幡社と呼ばれていたが、明治三年、今の社名の大野神社になる。

この神社の旧地はお宮の南の方にあったと伝えられる。

旧知と伝えられるところの近くに水神を祀る小祠があり、祭神は罔象女神

(みずはめのかみ)をお祀りしている。

こちらの大野神社の周辺には水に関わる伝説・民話など言い伝えが沢山あり

ます。


こちらのお社の隣りがコミュニティセンターになっていましたので、そこの
駐車場に車を停めての参拝となりました。
お社は木曽川沿いにありますが、この辺りは他の式内社も多く集まっている

地域なのです。






 

www.nakaimamarunosuke.com

 




 

 

 

あなたの神聖な権利のために(自民党参議院議員青山繁晴ブログより)

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(写真は2月26日の記事から拝借しました) 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

自由民主党参議院議員青山繁晴さんのブログからの転載です。

 

少し前の3月3日の記事ですが、政治家と一部マスメディアがつながっている、

と指摘されている記事です。

よろしければご覧下さい

 

 

 

 

 
▼いや~初日から、忍の一字でした。
 参議院予算委員会です。
 これから長く続くのに先が思いやられます。

 朝8時半すぎに、委員会室に入りました。
 議員は誰もいません。これまでと同じく、一番乗りです。
 そこから、短い昼を挟んで、夕方5時まで、ずっと古い傾いた椅子に座りっぱなしです。審議中にはトイレにも行きません。総理も大臣もよくトイレに立たれますが、それはそれで全く当然です。
 しかしぼくは立ちません。
 身体が具合悪くならない限りは、ね。

▼その予算委員会で、まもなく、国会議員となって24回目の質問をするかも知れません。

 ただしテレビ中継入りの時には、順番が回ってきません。
 テレビ中継入りの審議が終わったあとも予算委員会は連日、続きますから、そういう時にだけ、声がかかります。
 派閥に属していないということは関係あるでしょうね。プッシュしてくれる派閥がぼくにはなく、そしてぼく自身では決して売り込みません。
 まったく構いません。

 それに、テレビの中継はなくともネット、すなわち参議院の公式動画で、どなたでもご覧になれます。

▼同期のなかで唯ひとり、なぜかぼくだけが足かけ5年、ずっと変わらず予算委員です。
 決して短くはない日々ですが、テレビ中継入りの質問に立ったのは一度だけです
 ご記憶のかたもいらっしゃると思います。
 モリカケのときです。
 急に声がかかりました。

 質問に立つことを求められたとき、ぼくは、逆転を起こしてモリカケが冤罪であること、改憲を掲げる安倍政権を潰すための冤罪であることを証言できる人物を招こうと考えました。
 元文部省官房長であり、そのあと愛媛県知事となられた国士、加戸守行さんです。
 そして一切、打ち合わせも、摺り合わせもなく、NHKテレビが生中継している予算委員会の現場で、加戸さんの真っ直ぐな証言を引き出すことを試みていきました。
 今、はっきり申せば、こうした審議の一撃で、冤罪であることが証明されたと考えています。

 それがよほど都合が悪かったのでしょう、多くのオールドメディアが、この質疑は無かったことに、青山繁晴という国会議員はこの世に居ないことにしました。
 おかげで、日本の闇、ほんものの暗く深い闇がよおく見えました。

 これも今だから申せば、当時、予算委員会での質問のあと内閣の中枢の人物から「この内閣を救ってくれました」と言われました。
 ふだん極めてクールで、そんなことを言わない人ですから、印象に残りました。
 ぼく自身は、内閣を救うというより、敗戦後の日本で初めて改憲を掲げている内閣を続けるべきだと考えていました。
 改憲はいまだ実現していません。しかしモリカケ改憲内閣を潰されていたら、憲法改正へのモチベーションそのもの、みんなの意欲がもう、喪われていたでしょう。

▼今夜、「質問するかも知れません」とやむを得ず、あいまいに書きました。
 なぜか。
 与野党の協議によって質問時間や順番、質問者が決まるのですが、参議院予算委員会が始まったばかりの今からすでに、かなり協議が難航しているようで、なかなか正式決定しないのです。
 見通しは詳しく聞いていますが、協議が最終的に決着しないと、なにも書けません。

 それなのに、なぜ今これを記しているか。
 感染症対策を施しつつ、限定的に、傍聴者を募ることができるのです。
 ところが今回は、いきなり「明日、質問です」ということになりそうだから、主権者のために、すこしでも早く気配をお伝えてしておく責務を感じるからです。
「傍聴の募集があるなら応募したい」という主権者は日本の宝物ですし、そして主権者が国会審議の現場で見て、お聴きになるのは、神聖な権利だと思います。

 ひとつだけヒントを申せば、今週中に、という気配です。
 そして明日 ( 3月4日木曜 ) ということはもう、なさそうです。
 応募なさろうかという主権者は、このヒントで準備していただければ幸いです。

 応募と言えば、3月28日の独立講演会@東京の申し込みが、3月5日の午後1時で〆切です。
 仮に首都圏の緊急事態宣言が2週間、延長されても、宣言が終わったあとですね。それでも徹底的に感染症対策を施しつつ、みなさんと直に会って、限定的な場だけで話せる情報を話し、質問にどんどんと答えていきます。

 

 

変異株の水際防止、入国管理について、政府はショッキングなほど緩い、甘い それがあらためて部会という公の場で分かりました(自民党参議院議員青山繁晴ブログより)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

自由民主党参議院議員青山繁晴さんのブログからの転載です。

 

新型コロナウィルスの蔓延の原因として、政府の甘々な水際対策にていて、

青山繁晴参議院議員が厳しく政府に問うている記事です。

よろしければご覧下さい。

 

 

 

(写真は、今回も、杉田水脈代議士がぼくの知らないあいだに撮ってくださいました)

参議院予算委員会は、きのうでテレビ中継のある「基礎的質疑」が終わり、きょうから「一般質疑」に入ります。
 今日だけ、すこし開会時間が遅めになったので、今朝は、朝8時から自由民主党の本部で開かれた外交部会と、外交調査会の合同会議に参加することができました。

▼テーマは、武漢熱が変異株の流行に移ろうかという新たな危機にあるなか、外国人の入国管理をどうしているか、どうすべきかという重大テーマです。

▼今、ごく短い時間、議員会館に戻っていますから、とりあえずこのエントリーをアップしていますが、すぐに国会議事堂に歩いて行き、3階の予算委員会の部屋に入らねばなりません。
 ですから、ひとことだけです。
 政府がタイトルの通りである現実を、およそ6点か7点にわたって確認しました。
 発言して厳しく問いました。
 しかし政府の答弁は、噴飯ものでした。

▼また、今朝の部会のテーマ外であっても発言することについて、衛藤征士郎外交調査会長と佐藤正久外交部会長の許可を得てから、いわゆる慰安婦問題について公平にして学問的な論文を書かれたラムザイヤー・ハーバード大学教授に韓国が凄まじい嫌がらせと妨害工作を仕掛けていることについて、日本の姿勢を問いました。
 政府は、嫌がらせが起きていることは、はっきり認めました。
 しかし回答は、ぼくに個別に致したいということでした。
 学問の自由に、日本政府が公然と介入するわけにいかないからです。

▼それやこれや、当然、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の次回収録でお話しします。
 次回収録は来週前半にできるかも知れません。しかし予算委員会の昼ご飯のための時間を使うだけですから、キビシイ日程となります。