中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

いまさら「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の音楽を語る

 風の谷のナウシカ

(出典:スタジオジブリ © 1984 Studio Ghibli・H)

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

さ~て夏といえばジブリ!」 とイメージされる方も結構多いのでは

ないでしょうか?(今ではすっかり定着化されている感があります)

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」の音楽について語ってみます。

(約一年程前の記事を加筆いたしました)

 

 

とはいえ・・・

 

『この「風の谷のナウシカ」を語らしたらまけへん

でぇっ!!』<(`^´)>

(関西以外の地域の方は、それぞれの方言に変換して言ってみて下さい)

 

という方が星の数ほどみえるかと想いますが・・・

 

まあ・・・ それはそれとして、今回は語り尽された感のある

風の谷のナウシカ

についてを、さらに少々深彫ってみます。

 

では、まずはこちらの音源をお聴きください。

 

こちらは、「Synphonic poem ”NAUCIKAA”」

のバージョンですね。

 

こちらは他にあります有名な武道館のバージョンと違い、オーケストラの編成も

小さく、少年少女合唱団もないせいか、過剰な演出というものがなくて、久石さん

流のオーケストレーションをよく聴くことができて、違う意味で新鮮ですね。

 

この曲の最初の出だしのティンパニの連打の音を聴くと、この映画の始まりも

さることながら

スタジオジブリの幕開けじゃー」という感じがするんです

よね。

いよいよこれから、宮崎駿監督と久石譲さんとの闘い(いい意味で)が始まる、

みたいな。

 

こうして改めて聴き直してみますと、宮崎駿監督の画に負けてないですよね、

久石譲さんの音楽って。

世界最高と言っても過言ではないアニメーションの技術をもつ宮崎駿監督の迫力

ある映像に対して、がっぷり四つで組んでいる。

 

高畑勲さんは、かつて「久石さんの音楽は無邪気なところがあるから、宮崎駿さんと

合う」的なことを仰ってましたっけ・・・。 

 

ナウシカは映画初公開以来今年で35年くらい経つわけですが、映画や

武道館コンサートなどにしろ日本や世界中に、そのアニメ・ナウシカ

イメージが広がり、そして少なからずそれを観たり聞いたりした人々の

精神や思考にも影響を与えているでしょう。

 

最初は宮崎駿監督一人の頭の中にいたナウシカが、こうして世界中の人の

ナウシカを想う想念・エネルギーが集合すると、実際にナウシカという人物

のエネルギーが結晶化して生まれてしまうのでは、とまで思ってしまいます。

 

何もなかったところに、多くの人の念のエネルギーが一つになると、そこに

いつしかナウシカという一つの想念による集合体が作りだされててしまう、

みたいな。

 

特に「ナウシカレクイエム」なんて聴くと、聴いた人達の意識はアニメの

ナウシカ」を想う。実在する人物でもないのにね・・・。

 

この空想・・・ていうのがいいんですかね('ω')

空想のナウシカに想いを投入してしまう・・・

世界レベルの映像と音楽が組み合わさると、人間の意識まで変えてしまう。

 

 

 

さて余談ですが、個人的にはこのナウシカの「風の伝説」も好きなのですが、

天空の城ラピュタ」の音楽も好きなんですが、なんか久石さん、なかなか

やってくれないんですよね。

 

YOU TUBEで探しても出てくるのは、いつも「パズーが吹くトランペットの曲

(スラッグ渓谷の朝)」か合唱の「君をのせて」ばかり・・・

 

パズーのトランペットのメロディーって、そんなに繰り返してまで聴きたいと

思わないんだけど・・・

ラピュタの音楽って他に良いのたくさんあるので、そっちの方が聴きたいのにな

・・・

生演奏でね。

 

特に、冒頭のシータがゴリアテから落ちてからのメインテーマ「空から降ってきた

少女」と、パズーとシータがラピュタに初めて上陸して探索に出るところの音楽とか・・・

 

 

 

と、ところが・・・

 

 

 

※なんと、記事を書いたのが2日前でしたが、いくら探しても出てこなかった

曲を、香港で久石さんが演奏されていました。

 

 ありました(≧◇≦)出てきましたよ!

天空の城ラピュタ」の聴きたかった音源が(^_-)-☆ヤッター

 

さらに、この記事を書いてから最近見つかったのが「交響組曲天空の城ラピュタ

              ☟

 

聴いていると、映画の「あっ!あの場面・この場面」と映像が自然と浮かんで

きます。

映画の サウンドトラックでは、それぞれの曲に題名がきちんとついているのですが、

それらを一つの組曲として繋げています。

 

 最後のあたりにくると、感動しますよ(∩´∀`)∩

 

 こういった久石さんの音楽でジブリワールドにじっくり浸るのも、また幸せな

ひとときですよね(^^♪

 

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」と一部「天空の城ラピュタ

を勝手に語ってみました。

 

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑱

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の18回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

吉野地方を帰順さんせたイハレビコは、山道を北上し宇陀(奈良県宇陀市

に至ります。

その地には兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)がいました。

 

古事記

八咫烏を遣はして、二人を問ひて曰く

「今、天つ神の御子、幸行でませり。汝等仕え奉らむや」

 

それに対し、エウカシは八咫烏に鳴鏑 (なりかぶら・音のなる矢)

を射るなど反抗的な行動に出ます。

 

一方オトウカシはイハレビコの元に参上し、

「兄エウカシは氾濫の軍勢を集めたが、うまくいかなかったため謀略を

企んでいる」

 

そして

「殿を作り、其の殿の内に押機(おし)を張りて、待ち取らむとす(大きな

建物を作って押機を仕掛け、御子を殺そうとしています」

 

この押機とは、人が入ると天井が落下し、圧死させる仕掛けというもの。

 

 

さて、宇陀市にあります桜実神社には、イハレビコが陣を張った際に

植えたといわれる「八つ房杉」があります。

 

 桜実神社の八ツ房杉

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(上の写真は「巨樹と花のページ 」よりお借りしました)

イメージ:桜実神社

(こちらの写真は「宇陀市観光協会情報サイト」よりお借りしました)

 

この桜実神社から約1.5キロ北東には「宇迦斯神魂」を祀る

『宇賀神社』が」あり、付近にはエウカシの邸宅と殿があったと

される高台があります。

 

 

 

やがて兄のエウカシを討伐したイハレビコ一行は宇陀(奈良県宇陀市)を攻略。

 

その後「古事記」では、そのま忍坂(おしさか・奈良県桜井市忍坂)に入ったと

記述されています。

 

 

一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。

《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を

のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。

叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂

(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑲

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の19回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。

《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を

のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。

叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂

(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》瓮

 

この高倉山は、宇陀松山城があった古城山か、高倉山顕彰碑が立つ

高角神社付近が候補地だといわれています。

 

《賊虜(あなども)の拠る所は皆是要害の地なり。故、道路絶え塞り、

通ふべき処無し》

 

奈良盆地に通じる峠道はすべて、ヤソタケルによって封鎖されてしまいました。

 

その夜、困惑したイハレビコが祈誓(うけい・神意をうかがう占い)を立てて

休むと、夢の中に天神(あまつかみ)が現れて窮余の一策を授ける。

「天香山(あまのかぐやま)の社の中の土(はに)を取りて、天平瓮(あまの

ひらか・平らな皿)八十枚(やそひら)を造り、あはせて厳瓮(いつへ)

(神酒を入れる清浄な瓶)を造りて、天神地祇あまつかみくにつかみ)を

敬(ゐやび)祭り、また厳呪詛(いつのかしり)をせよ。如此(かく)せば

虜(あた)自づから平伏(むきしたが)ひなむ」

 

夢のお告げの通りに厳呪詛が行われたのは、丹生川神社(にうかわじんじゃ・

奈良県吉野村)のそばで、三本川が合流する仙境「夢淵」と伝わっています。

(写真は「丹生川神社」公式HPよりお借りしました)

 

イハレビコはそこでも、水中に厳瓮を沈めて誓約を立てた。

 

イハレビコはその後、厳瓮の神饌を食し、敵陣に向けて出陣します。

 

niukawakami-jinja.jp

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

 

ブッタ「感興のことば」から学ぶ  ❾ 「非難」

 

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46

「沈黙せる者も非難され、多く語る者も非難され、

すこしく語る者も非難される。

世に非難されない者はいない」

 

 

 

〇ノ丞:人の口には戸はたたぬ、というように、日々の日常生活の

中で、ほとんどの人が経験する「非難」「陰口」「誤解」「曲解」

など。

 

人間て心で思うことには制限がなくて、それそれが育った環境や境遇、教育

などによって思い、考え、話しをします。

全ての人が正しく物を見てくれればいいのですが、それぞれが先入観を持って

いたり、物事を部分的にしか見ていなかったりして、中々そうはいきませんね。

 

 

『十人十色』

 

 

例えば10代の学生時代のときなどのように、まだ世間的にも視野が広くなく、

経験もまだ少ないと、ちょっとしたことで判断を間違えたり、あるいは辛い状況

に自分を追いやったりしてしまうことも少なくありません。

 

 

高いところから視野を広く見渡せば、人間の思うことや話しなども、案外いい

加減なもの。

それは、自分自身にも胸に手を当てて考えてみれば、思い当たることは数限り

なくありますね。

 

 

そこで、上記のブッタの言葉のように、誰もかれも結局は非難される、人間の見方

や判断もあてにならないところもあるのだから、すべてのことに心を惑わすことも

ない。

 

かといって、すべての意見をなおざりにしてもいけませんが、この世の人間の

やることにはどうしてもこういった面があるよ、とでも覚えておけば、ある程度

気は楽になるでしょう。

 

そして、迷う時間も減って、その分を自分のやるべきことに使って邁進する方が、

自分の人生にとって良いのでは、と思います。

 

 

今日も性懲りもなく、人を「非難」してませんか・・・?

 

ブレーキ、ブレーキ・・・を心掛けたい(*_*;

 

 

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑰ 八咫烏の登場

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の17回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

熊野の荒ぶる神を倒したイハレビコ(後の神武天皇)。

その後高天原からの支援が引き続き行われます。

 

古事記

「高木大神(たかきのおおかみ)の命以(も)ち、覚(さと)し白(まお)

さく『天つ神の御子、此れより奥つ方にな入り幸(い)でましそ。荒ぶる

神いたし多し。今天より八咫烏(やあたがらす)を遣はさむ』

 

 

 「此の鳥の来ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。我が皇祖(みおや

天照大神、以ちて基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲せるか」

 

イハレビコは八咫烏の船頭で熊野の山を越えていきます。

 

 

この八咫烏熊野本宮大社の摂社として、八咫烏社が明治22年まで熊野川

沿いの大斎原に祀られていましたが、後に川の氾濫で流失していまいました。

 

 熊野本宮大社

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(写真は熊野本宮大社HPよりお借りしました)

www.hongutaisha.jp

www.hongutaisha.jp

 

 

その後、八咫烏の導きで「吉野河の河尻」に至ったイハレビコ(後の神武天皇)は、

三人の国つ神(地上の神)に出会います。

「汝は誰ぞ」

そのように問うイハレビコに対し、国つ神らは

「僕は国つ神、名は贄持之子(にへもつのこ)と謂(い)ふ」

「僕は国つ神、名は井氷鹿(ゐひか)と謂(い)ふ」 

「僕は国つ神、名は石押分之子(いはおしわくのこ)と謂(い)ふ」

 

「今天つ神の御子幸行でますと聞く。故、参向かへつるのみ(天つ神の

ご子孫がお出でになると聞き、お迎えに参りました)」

 

この贄持之子は

「時に筌(うへ)を作り魚取る人有り。此は阿陀の鵜養(うかひ)の祖」

竹で編んだ筒状の道具で漁をし、阿陀の地で鵜飼いを生業とする祖先。

 

この井氷鹿は

「尾生(お)ふる人井より出で来。其の井光有り」

 

この石押分之子は

「また尾生ふる人に遇へり。此の人巌(いはほ)を押し分けて出で来」

 

「尾生ふる」とは、木こりなどが尻当てを垂らしている姿がそう見えた

と言われています。

 

阿陀の鵜養(うかひ)の祖となった贄持之子とのゆかりを思わせる神社

「阿陀比売神社」が奈良県五條市原町にあります。

                                          ☟

www.library.pref.nara.jp

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

 

尾張式外社を訪ねて ② 田光神社 後編

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

「田光神社」後編です。

 

それでは、有名な弘法大師お手植えの楠の写真を何枚か掲載いたします。

 

樹齢は千年を超えている大楠 

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改修工事の人が映っていますが・・・

 

直接木に触れる事はできません

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白龍社の後ろにある龍神

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この道路は神社の北側ですが、総代さんの話しによれば、昔はあの市営住宅の辺りまで

はこの神社じ同じ高さだった。そして大きい池があったとのこと。

 

 

 

こちらの神社北側には稲荷社が二つありまして、一つは他の所から移したもの

ということでした。(しかしこの神社は巨木が多いです)

 

 こちらは西側。

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もう一つの稲荷社。

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こちらは北側
 

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本殿の改修工事の真っ最中(現在は完成しています)。

こちらの御本殿は、元々熱田神宮龍神社のお社をこちらに譲ってもらったもの

だそうです。

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名古屋市営バスも友情出演・・・

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拝殿内にある、小さなお社がぼんやり見えますでしょうか?

 

 

 丁度この時は稲荷社、本殿、渡殿の改修工事が始まっていまして、本殿の神様は

拝殿の中にございますこちらの小さな社に遷座されていました(現在は本殿が

完成されています)。

 

総代さんによれば令和2年2月に遷座祭が行われ、20年に一度の伊勢の神宮の遷御の

儀式のように、白い幕で神様が見えないようにして神様に遷御いただく

という儀式をされたと伺いました。(感激もひとしおだったそうです)

 

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境内末社の八剱社と白山社

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上の写真左側のお社は小さいですが、形はカッコいいですよね。この辺も神社巡りが好きな人にとっては「くすぐりポイント」の一つとして点数が高いです(・´з`・)

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総代さんはこちらの神社についてかなり研究をしておられまして、古代のこの近辺の

豪族や遺跡、尾張氏との関係などについて、色々とお話し下さいました。なので

私も9年ほど前から尾張式内社や神社の歴史、古代からの皇室の歴史などに

ついて今まで勉強してきたことを色々とお話しいたしましたら、大変喜んで下さい

まして、結局一時間以上も話が盛り上がって大変良い日と相成りました。

(多分居酒屋とかだったら朝まで話しているでしょう・・・)

 

その他、織田信長桶狭間の戦いのルートや、熱田神宮との位置関係、昔は田光神社

の南側に盛り上がった山みたいな場所があった(宝剣山と言われていましたが)など、話しは尽きませんでした。

 

詳しい由緒書の資料などを後日送りますよ、ということでお別れしました。

 

なお、この神社は大変御神気が強くて、個人的にはすごく好きな神社の

一つです。今までの経験上、古代の豪族が住んでいた地域にはかならず

重要な歴史と祭祀場があり、だいたいその近辺が現在の神社になっています。

 

元々そのような神聖な場所なので、たいがい御神気が強い所が

ほとんどです。また雰囲気も穏やかで、それを肌で感じる気がします。

 

なお専用の駐車場がありませんので、私はいつも近くのコンビニで買い物

をしてから参拝しております。

 

 

 

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おまけ:現在はこのような立派な絵が、拝殿横に掲げられています。

 

 

 

尾張式外社を訪ねて ② 田光神社 前編

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「田光神社」(たこうじんじゃ)です。

参拝日時令和2年3月21日

(この記事は、去年に投稿したものを加筆したものです)

 

愛知県名古屋所瑞穂区大喜新町3-23

 

御祭神 応神天皇 仁徳天皇 大帯比売命(神功皇后

 

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枝垂れ桜

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       ↑

 

「昔よりこの木には神が宿るといわれています。黒龍様と一緒に当地に

移ってこられたと伝えられていて、その枝が明治後年まで東方に低く

垂れていてその枝に体を寄せると痛いところが治ると伝えられ今でも

古老がお願いしているのを見掛けます。眼病、腰痛、下の病等効くと

古文書は伝えています」と書かれています。

 

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手水舎

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他の神社の手水舎の龍神像と少し違いますね

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こちらのお社には巨木が沢山あります

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ハンガーが活用されています

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拝殿右側に白龍社

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白龍社のの右手に龍神

 

このお社の後ろ側に水を溜める囲いがあり、例えば他のネットで挙げられている

ものを見ていると、この白龍社の龍がそのすぐ後ろの池にいて、それを祀った

ものという感じで書かれています。

 

今回、幸運なことにこの神社の総代さんにじっくりとお話しを聞くことができ

ましたが、実際は神社の北側に広大な池が昔あって、そこを区画整理や道路を

作るために埋め立てたそうです。

その時のお話しは長くなるので後編で書きますが、古代の遺跡やらがこの近辺

で出土しているなど、村社クラスの神社ではありますが、かなり重要な言い伝え

のあるお社であることがわかりました。

 

もちろん御朱印も頂けましたよ(^^)/

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こちらは弘法大師お手植えと云われる楠です。樹齢は千年を超えています。

弘法大師お手植えの楠は全部で名古屋に7本あるそうで、残り5本は熱田神宮に(実際あります)、あと一本は古井ノ坂にあるんだとか(この残り一本は定かでない)。

 

さて次回はこの弘法大師お手植えの楠の写真を沢山載せます。また、熱田神宮との

接点などについても書いていきます。