中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

生まれた環境 ①

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みなさんこんにちは 中今〇ノ丞 です

前回初めてブログの記事を書きましたが、今回からはまず私 

中今〇ノ丞の生い立ちからお話ししていこうと思います。

 

なぜ初回から生い立ちの記事から書くのか、について

は、おいおいその理由も書き加えていきますが、先に自分

自身の生い立ちをある程度知っておいてもらった方が、

人生の色々な問題や悩みを持つ方々にもある程度の親近感

を持ってもらえるのでは、と考えてのことです。

 

私の家庭はごく普通の家庭でしたが、私が七才のとき両親が離婚

したのをきっかけにして、日々の生活が一変してしまいました。

私達姉弟は父親にひきとられ、父子家庭がスタートしました。

まず朝食はなし。小学校で出る給食が栄養を補う助けとなりまし

た。夜ご飯は父親が作るのですが、マズかったという

思いが大半でしたね。悲惨なのは夏休みの時で、朝食はなし、

昼はカッププラーメンで、父親が夜仕事から帰ってくるのを

待つという日もありました。

そのような生活が続いて、小2のときには、体重が小1の時よりも

減ってしまい、やせ細った子供になっていました。

母親がいないということは、身の回りのこと、例えば歯磨きや

洗面、お風呂で体を洗うなどの当たり前のことも教わらずに、

今考えると不潔ないでたちで毎日学校に通っていました。

父親も、教育や育児に関心があまりなく、どちらかというと

育児放棄に近いような感じだったかもしれません。

なので、当然学校の勉強もわからず、家庭内の家族の団らん

とか会話も少なかったように記憶しています。

まあ唯一の慰めがテレビで、このテレビが一般の家庭や社会なのだと

思っていましたね。

   

それにしても不思議なのは、母親の記憶は、映像として頭の中にわずかで

すが残ってはいるものの、その声や会話の記憶が全くないのです。

まあ小1までの記憶ですから、7歳と小さいので仕方ないにしても、

いま思い起こしても不思議に思います。

                   つづく