中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

災害ボランティア 尾畠春夫さんから学ぶ 中編

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回も災害ボランティアとして一躍有名となった

「尾畠春夫」さんについての記事です。

  

 (写真は「情熱大陸」から)

 

 前回のつづき

 

私は尾畠さんを一言でいうなら

「聖人(ひじりびと)」だと思っています。

 

尾畠さんの生き様を見ていると、例えば鎌倉時代にいた、村の

道端で辻説法をするお坊さんのようだといえばいいでしょうか。

 

何百年も前のお坊さんの中には、民を仏法で救うために、全てを

捨てて、衆生済度にあたる「捨て聖(すてひじり)」のようなお坊

さんが存在しました。

本来、仏教の僧侶は、こうあるべきではないのかな?

と私は思っています。

 

ただ現在は・・・

 

位が高い僧ほどデップリ太っていて、高級車に乗り、夜の飲み屋街や

京都の祇園界隈でよく見かける・・・という話しを耳にしたことが

ありますが、そもそも、そのお金って檀家から集めた浄財ではないの?

と。

 

二千五百年前のお釈迦さまの時代って、ほんと命がけの生活というか、

在家の家に托鉢に行って、施しを受けながら仏法を説いてまわる、

そういう生活なんですよね。

もちろん毎日三度食事が保証されているわけではなく、寝る時も

屋外で、木の下とかです。(その後精舎の寄進によって変わりますが)

その当時は出家ですから、全てを捨てなければなりません。

それぐらい厳しかったんです。

 

だから、尾畠さんをテレビなどでお見掛けすると、いつも

「昔のお坊さんの生き方に近いなあ・・・」と思います。

 

尾畠さんは、ボランティアは「自己完結」と仰います。

食事の提供、宿の提供も受けない、被災地の人に迷惑をかけないなど。

軽ワゴンに食料や必需品を積み込み、ひたすら毎日ボランティア作業に

明け暮れる。

 

その原動力ってなんだろうか?

 

私は「恩返し」の思いからなのかな、とそう思います。

 

感謝の思いが深く、広くなってくればくるほど、それに応えずには

いられなくなってくる

 

私はそう感じました。

 

尾畠さんの著書「尾畠春夫 魂の生き方」にも出てきますが、

尾畠さんが座右の銘にしておられる言葉があります。

 

「かけた情は水に流せ 受けた恩は石に刻め」

  

後編につづく・・・