みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回も、最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの著書
「宮大工棟梁・西岡常一 口伝の重み」
の続きです。
大正3年に農学校を卒業した西岡さん。祖父は大工をさせるどころか、突然
「三年間学んだことを実際にやってみい」
と田んぼで米作りを命じた。
西岡さんは、無事その年の収穫を終えて、祖父にその旨を報告する。
しかし、予想より米の収穫量が少ないため
「おかしい」「これはどういうことか」
と祖父が言う。
「わかりません」と西岡さん。
「それはどういうことかいうたら・・・お前は、稲を作りながら、稲と
話し合いをせずに、本と話し合いをしていた。稲と話し合いをできる者
なら、窒素、リン酸は知らなくても、今水をほしがっとるんか、今こういう
肥料をほしがっとるちゅうことかが、分かるんや。本と話すから、稲が
言うこときかんのや」
そして「これからいよいよ、お前も大工をするんやが、
大工もその通りで・・・」
「木と話し合いができなんだら、本当の大工には
なれんぞ」
ー 木と話す ー
そのことを体得させるために祖父はわざわざ、私に農業の修行を
させたのだった・・・
(西岡常一さん)
木と話す・・・?
何のことかと思われるでしょう。
される時に、この教えが生かされることになります。
「木組みは人組み」であり、「適材適所」とは、
人間と同じように、木にも「強い・弱い」「山のどこで育ったか」
「東西南北のどの方角か」「ねじれている癖のある木、素直な木」
「山の土の質」
それぞれの特質を見抜いて、木の配置を決めていきます。
木も植物も「いのち」を持ち、木を知り抜いていないと、
良い仕事はできないし、木を生かすことができない。
です・・・
つづく