中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

最後の宮大工 西岡常一 ❸

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの著書

「宮大工棟梁・西岡常一 口伝の重み」

の3回目です。

 

法隆寺

 

 祖父から大工修行のいろはを叩き 込まれる、まだ若き西岡さん。

その全ては一人前の棟梁にするため。

大事なことは祖父から口伝にて伝えられ、聞き覚えでした。

 

そのやり方は

ー手取り足取りの指導などしないー

ー体で覚える。 優れた仕事を見て、それを盗むー

ー口より先に手ー

 

ー自分で体にしみこませるー

先祖から受け継いできた口伝を、西岡さんは実践していきます。

 

 

さて世間ではなぜわかりやすく教えないのか?その方が効率的ではないか?

と疑問を持つ方もおられるでしょう。

 

なぜ教えないのか?

その理由も西岡さんは語っておられます。

 

「教えたことは忘れる」から。

一見、教えるというと親切だと思うかもしれんが、結局教えられた

ことは身にならない。自分で考えて、苦労して身につけたことは

一生忘れない、と言っておられます。

 

なので、後に西岡棟梁の最後の内弟子となられた小川三夫さん

なんかは、西岡棟梁からカンナで削った薄い切り屑を一枚渡されて、

『「これと同じように削るんや」と言われただけで、後にも先にも

何にも教えてもらったことがない』と言い切っておられます。

 

ー教える方も必死、教わる方も必死ー

 

 

〇ノ丞):私の個人的な考えとしては、やる気があれば、どんな境遇や

環境にあっても、自分で勉強して道を切り開いていくでしょうし、例え

教えてもらえないとしても、なんとしてでも技術を会得しようと

頑張るでしょう。その表れが「見て盗む」になるのではないかなと

思っています。

 

※ただし、晩年の西岡棟梁は「やっぱり自分の技術を後世に残さんと

あかん」ということで、積極的に若い職人たちに教えていたとか・・・

 

 

今回はここまでです。

次回は、いよいよ核心となる棟梁になるための心がまえについて

書いていきます。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 (西岡常一さん)