(熱田神宮)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
または「草薙剣(くさなぎのつるぎ)二回目です。
(以下草薙剣)
時代は下って、古事記・日本書紀に草薙剣の記事が出てくるのは第12代
景行天皇(けいこうてんのう)の御代です。景行天皇の皇子であった
倭建命(やまとたけるのみこと・日本武尊)が東国の平定(へいてい)に
出発する前に、伊勢の神宮に参拝した折に、叔母の倭比売命
(やまとひめのみこと)から草薙剣を授かります。
ただ天孫降臨から、どういう経緯でもって草薙剣が伊勢の神宮に奉安される
に至ったのか、については古事記・日本書紀には何も記されてはいません。
ここからは私の私見でありますが、以前書きました記事「三種の神器 八咫鏡」
の中で、倭比売命(やまとひめのみこと)が八咫鏡を祀る場所を探すために、
滋賀や美濃などを歩き回り、最終的には五十鈴川の流れる現在の伊勢の神宮の
地に辿り着くわけですが、その時に草薙の剣も一緒に持ってきていたのでは
ないか、と思いました。
草薙剣を持って、東国の平定に向かった倭建命。途中の駿河で焼津の土豪に
よる火攻めに遭います。このとき、日本書紀には「この剣がひとりでに抜けて
倭建命の周りの草をなぎはらい、窮地を逃れることができた」書いてあります。
原文は「佩く所の剣、天叢雲、自ら抽けて主の傍らの草を薙ぎ攘ふ。
これによりて免れた」
このことがあって、この剣を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれる
ようになった、ということです。
(日本武尊)
(熱田神宮の森)
つづく