中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

小笠原流とは 弓馬術礼法 その2

  

(出典:nippon.com) 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 「小笠原流」とは、の続きです。

 

  

 現在の小笠原流31世宗家小笠原清忠(きよただ)氏の嫡男

である、小笠原清基氏のプロフィールをご紹介致します。

プロフィール

小笠原清基(おがさわらきよもと)

Author:小笠原清基(おがさわらきよもと)
1980年生まれ。
馬術礼法小笠原流31世小笠原清忠宗家の長男。
3歳で稽古を始め、小学5年で鎌倉の鶴岡八幡宮流鏑馬神事の射手を務める。
大阪大を卒業後、筑波大大学院にて神経科学博士を取得。「家業を生業にしない」という家訓があり、現在製薬会社の研究員。
NPO法人小笠原流・小笠原教場 理事長
一般社団法人日本文化継承者協会 代表理事
一般社団法人蛍丸記念刀剣文化遺産伝承会 顧問
日本女子体育大学弓道部 監督

(出典:ブログ「若日記」より抜粋)

 

 

 前回に引き続き、小笠原流について「nippon.com」に掲載された

インタビュー記事とその解説(〇ノ丞)をいたします。

 

 

 

 「家業を生業にせず」家訓に伝統継承

——弓馬術礼法を指導する小笠原家は、どれほどの歴史があるのでしょうか。家系はいつ頃までさかのぼることができますか。

850年以上です。小笠原家は清和源氏の家系です。小笠原家の祖は小笠原長清(ながきよ)で、1187年に源頼朝に「糾方(きゅうほう)」と言われる礼法や弓術、弓馬術を教える師範となり、その後も子孫たちが鎌倉将軍家に仕えてきました。小笠原流流鏑馬が初めて披露されたのは、鶴岡八幡宮(はちまんぐう)で、今でも毎年9月16日に流鏑馬神事が行われています。現在は父の小笠原清忠(きよただ)が31世宗家です。

 

 

——流鏑馬の起源とは。

武士が戦いに備えて行った馬の上から弓を射る「騎射(きしゃ)」と呼ばれる弓馬術の訓練で、その中でも武家の儀式として行われる部分のみを「流鏑馬」と呼んでいます。

 

(〇ノ丞解説:現在も全国の有名な数多くの神社で、年間を通して小笠原流による

流鏑馬蟇目(ひきめ)の儀などの神事が執り行われています。

関東では日光や鶴岡八幡宮がありますし、東海地方では熱田神宮だと蟇目の儀と

百々手式、三重の多度大社では流鏑馬があります。

関西は京都の下鴨神社では、蟇目の儀の神事があり、これは病魔退散・魔障退散という

意味合いがあります。

神社の神事として行われるため、流鏑馬の前には祓いをします)

 

——激動の歴史の中で、小笠原家の人々はどのようにしてこの伝統を守り抜いてきたのでしょうか。

幕藩体制が19世紀(1867年)に終わると、他の(武芸、礼法の)流派の人々は、それぞれの家業を生業(なりわい)にするようになりました。しかしわれわれは、別に職業を持ちながらこの伝統を守っていくことにしたのです。28世の小笠原清務(きよかね)は複数の学校で礼法を教えながら、東京・神田に一般の人々を対象にした小笠原教場を開きました。そしてこの伝統を純粋に伝承するために、「礼法や作法など流儀を教えることを生業としない」ことを家訓にしたのです。これは経済を考えて流儀を教えると、妥協が起こって、流儀の品位が卑しくなったり無理ができてくることをいさめてのことです。

 

 

長くなりますので、続きはまた次回へ・・・

 

YOU TUBEでの小笠原流での流鏑馬の映像をご覧下さい。

 1分15秒辺りから、小笠原清基さんが登場します。

 

 続いて熱田神宮での蟇目の儀の動画(小笠原清基さんです)

     ↓↓ 

 

京都の下鴨神社には、小笠原流流鏑馬のDVDも頒布されています。

このDVDを初めて見たときは、感動して涙が出ましたよ(´-`)

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com