(出典:nippon.com)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
「小笠原流」とは、の続きです。
——激動の歴史の中で、小笠原家の人々はどのようにしてこの伝統を守り抜いてきたのでしょうか。
幕藩体制が19世紀(1867年)に終わると、他の(武芸、礼法の)流派の人々は、それぞれの家業を生業(なりわい)にするようになりました。しかしわれわれは、別に職業を持ちながらこの伝統を守っていくことにしたのです。28世の小笠原清務(きよかね)は複数の学校で礼法を教えながら、東京・神田に一般の人々を対象にした小笠原教場を開きました。そしてこの伝統を純粋に伝承するために、「礼法や作法など流儀を教えることを生業としない」ことを家訓にしたのです。これは経済を考えて流儀を教えると、妥協が起こって、流儀の品位が卑しくなったり無理ができてくることをいさめてのことです。
(〇ノ丞解説:これまでの記事をお読みいただいて、おおよそのことはお分り
かとは思いますが、小笠原流とは礼法・弓術・弓馬術の伝統の全てを意味する
ものです。その中の礼法はそのごく一部にすぎず、しかも小笠原流礼法は
鎌倉幕府から江戸時代にいたる武士の礼法であり、弓術や弓馬術と結びつい
たもの。
上記のように28世小笠原清務のご意志を強固に守り継いでいるのが小笠原流
なのです(小笠原家は代々『清』の字を継承されていますね)。
この中の礼法についても、31世小笠原清忠氏は
「過去850年間もの間、一子相伝として伝承されてきたものは、基本的な
事項であり、世間の人が誤解しているような、ごたごたとしたわずらわしい
抹消にこだわる、形式主義のものではありません。
むしろ枝葉は、その時代によってどのように応用するかということであって、
繁文縟礼は世間が勝手につけ加えたり、勝手に誇張して考えだしたりした
ものが多いのです」
ちなみに、小笠原家の家紋は三階菱の中に十字を入れた紋です。
詳しいことは下記のアドレスに載っています。
YOU TUBEでわかりやすい小笠原流の動画を見つけましたのでご覧下さい。
(20年近く前の動画ですが・・・)
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こちらは浅草流鏑馬の動画です。非常に分かりやすい動画です。
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