みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きになります。
現在宮家は受難の時代を迎えているといえます。
いまから75年前の昭和20年(1945)の終戦時には14の宮家が
ありました。ところが日本が戦争に負けると、連合国司令部(GHQ)は
皇室改革を推し進め、皇族を少なくする措置が採られました。
そして議論の末に、14の宮家が3つに減らされることになりました。
(この3つとは直宮といって、昭和天皇の兄弟である秩父宮、高松宮、
そして三笠宮のことです)
ではなぜGHQは皇室改革と称して宮家を廃止したのか?
その理由は、日本軍の強さは神道にあると考えた、と言われています。
そして、その神道の祀り主である天皇家を解体して、日本が二度と戦争を
起こさない国にしようと意図した、ともいわれています。
この時、日本は被占領国という立場ですので、日本はこのような「時限爆弾」の
ようなGHQの要求を受け入れたわけでありますが、このことが現在の皇位継承
問題の原因になっているのです。
(そもそも例え戦争に負けたとはいえ、敗戦国の憲法を勝手に変える行為は、
ハーグ陸戦条約に違反しています《また、ハーグ条約は非戦闘員を殺傷しては
ならないと定めていますが、アメリカは1945年の東京大空襲で非戦闘員の
女こともを無差別に殺戮しており、原爆投下も含めて明らかにハーグ条約に違反
した行為をしていますが、このことが裁かれた事実はありません》。このように
法的根拠がないのに、未だにその被占領国時代のアメリカが作った憲法を順守し、
さらに「改憲反対」と叫んで、時代と共に周辺国の体制や状況が変わっていて、
拉致被害者も未だに取り返せないこの状況下の中で、憲法の審議すら拒否して
いる政治家がいるのが、現在の日本のありのままの姿です)
このように、昭和20年(1945)当時、連合国は日本を占領するにあたり、当初
は皇室そのものをなくしてしまおう、と考えていました。
当時のアメリカの世論はそれを支持していました。ところが、総司令官マッカーサー
元帥は昭和天皇と会見して考え方を180度変更しました。
~③に続く~