中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

最後の宮大工 西岡常一 ❻ 心を組む

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

宮大工・西岡常一さんの記事の続きです。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの著書

「宮大工棟梁・西岡常一 口伝の重み」

の6回目になります。

 

法隆寺

 

~続き~

見習い期間を経て宮繕大工として一本立した西岡さん。

ある夜、祖父から「家訓」を伝えられる。

正座をして、法隆寺の棟梁に代々受け継がれてきた「口伝」

であった。

 

 

そして、他の宮大工の口伝として

塔組みは 木組み

 

木組みは 木のくせ組み

 

木のくせ組みは 人組み

 

人組みは 人の心組み

 

人の心組みは 棟梁の工人への思いやり

 

工人の非を責めず 己の不徳を思え

 

 

※(〇ノ丞)宮大工なので当然木を扱うわけですが、その木というのは生き

ている、そして結局は人と同じである、と説いておられるように思います。

木は人と同じように、「クセ」を持っていて、しかも方角によって右に

曲がったり左に曲がっていたり、細い木、強い木など様々であることを、

実際の現場の作業で体験してるからこそ、言えることなのでしょう。

 

この「人の心組み」という言葉

 

これを実現しようと、いままでどれだけの人達が苦労してきたことか・・・

(世界一難しいことなのではないかと・・・)

 

西岡棟梁は続けて

『堂塔をつくり上げて行くとき、設計図どおりの用材が手あてできたとしても、

それからが大変です。「くせ木」を組む前に、「くせ木」以上の「人の心」

をつかんで、しっかりと共同作業ができるようにしておかなければなりません』

 

『むかしの法隆寺大工が心をひとつにできたのは、棟梁の統率力だけでなしに、

お互いの心が通じ合い結びあうような、信仰の対象があったからでは

ないでしょうか』

 

『むかし堂塔の木を組むということは、木を寸法的に組むのではありません

でした。その仕事をする大工の心がひとつになっいて、はじめから、そして

いつも、その堂塔のあるべき全体の姿は一人一人大工の心の中に、はっきり

と見えていたのです』

 

 

 ~❼に続きます~

 

 

 (西岡常一さん)

 

 

 

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