みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
宮大工・西岡常一さんの記事の続きです。
最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの7回目になります。
(出典:「木に学べ」)
(法隆寺)
西岡さん「昔おじいさんに言われました。わたし(西岡さん)が農学校に
入れられて、そこを卒業し、一年間農業をさせられて、そして収穫がおじい
さんより少ないということで、これはどういうことやと思う、とおじいさん
に言われたんです」
「それで、わたしはわかりません。学校で習ったとおりに、窒素、リン酸、カリ
の肥料配合をうまいことしてやったんや。ところが結果はこういうことやから、
わかりませんと言ったんです」
「そうするとおじいさんが『おまえはな、稲をつくりながら、稲とではなく、
本と話し合いしてたんや。農民のおっさんは本とは一切話しはしてないけれど、
稲と話し合いしてたんや』
おじいさん『農民でも大工でも同じことで、大工は木と話し合いができねば、
大工ではない。農民のおっさんは、作っている作物と話し合いが出来ねば農民
ではない。よーく心得て、しっかり大工をやれよ』
西岡さん「と言ったんです。木も建物も同じですわ。作りながら話し合って
、はじめてわかること、いうのがあるのです」
〇ノ丞)※宮大工の本質の本質というものをとことん知り抜いている人が言う
言葉ですよね。
木と対話し、木のクセを見抜いて適材適所に配置していく。
その結果が、建造してから1400年も経った今でもビクともしない法隆寺の
姿があります。
木も生きている、作物も生きている。
人の心組みも同じことのようです。
心と心の対話
そこにはお互いの尊重と共生がある
~➑に続きます~
(西岡常一さん)