みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きになります。
このように、昭和20年(1945)当時、連合国は日本を占領するにあたり、当初
は皇室そのものをなくしてしまおう、と考えていました。
当時のアメリカの世論はそれを支持していました。ところが、総司令官マッカーサー
元帥は昭和天皇と会見して考え方を180度変更しました。
会見時、マッカーサー元帥は「きっと天皇は命乞いをしに来るだろう」と思って
いたのですが、総司令部に御出ましになった昭和天皇は「自分の命はどうなっても
よい。いま食糧がなくて国民は飢えている。ここに皇室財産目録があるから、これ
で国民に食料を」と仰せになられました。
このことで、マッカーサー元帥は皇室を存続させなくてはこの国は治まらない」と
思われました。
(この会見時、昭和天皇が入ってきたときはマッカーサー元帥はふてぶてしく机に足を
のせていたそうですが、その後昭和天皇がお帰りになられるときは、わざわざ玄関まで見送りをされるほど、昭和天皇の人間性に傾倒されたとか・・・)
そして昭和22年(1947)、昭和天皇の弟宮にあたられる秩父宮(ちちぶのや)、
高松宮(たかまつのみや)、三笠宮(みかさのみや)の直宮(じきみや)3家を
除いた、他の11宮家51名が一斉に皇族の身分を離れて民間人になりました。
皇族が皇族の身分を離れることを「皇籍離脱」(こうせきりだつ)といいます。
14の宮家を3家に減少させることには強い反発もありました。
「もし皇統が途絶えることになったらどうするのか」
という意見もありました。
それに対して当時宮内省次官だった加藤進(かとうすすむ)氏が「かつての皇族
の中に社会的に尊敬される人がおり、それを国民が認めるならその人が皇位に
ついてはどうでしょうか」と述べて、皇籍離脱する皇族には「万が一にも
皇位を継ぐべき時がくるかもしれないとの御自覚の下で、身をお慎みになって
いただきたい」と意見したといいます。
~④に続く~