中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

旧皇族、11宮家について ③

 

f:id:nakaimamarunosuke:20200908192002j:plain

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の続きになります。

 

このように、昭和20年(1945)当時、連合国は日本を占領するにあたり、当初

は皇室そのものをなくしてしまおう、と考えていました。

当時のアメリカの世論はそれを支持していました。ところが、総司令官マッカーサー

元帥は昭和天皇と会見して考え方を180度変更しました。

 

会見時、マッカーサー元帥は「きっと天皇は命乞いをしに来るだろう」と思って

いたのですが、総司令部に御出ましになった昭和天皇は「自分の命はどうなっても

よい。いま食糧がなくて国民は飢えている。ここに皇室財産目録があるから、これ

で国民に食料を」と仰せになられました。

このことで、マッカーサー元帥は皇室を存続させなくてはこの国は治まらない」と

思われました。

(この会見時、昭和天皇が入ってきたときはマッカーサー元帥はふてぶてしく机に足を

のせていたそうですが、その後昭和天皇がお帰りになられるときは、わざわざ玄関まで見送りをされるほど、昭和天皇人間性に傾倒されたとか・・・)

 

そして昭和22年(1947)、昭和天皇の弟宮にあたられる秩父宮ちちぶのや)、

高松宮(たかまつのみや)、三笠宮(みかさのみや)の直宮(じきみや)3家を

除いた、他の11宮家51名が一斉に皇族の身分を離れて民間人になりました。

 

皇族が皇族の身分を離れることを「皇籍離脱」(こうせきりだつ)といいます。

 

14の宮家を3家に減少させることには強い反発もありました。

「もし皇統が途絶えることになったらどうするのか」

という意見もありました。

 

それに対して当時宮内省次官だった加藤進(かとうすすむ)氏が「かつての皇族

の中に社会的に尊敬される人がおり、それを国民が認めるならその人が皇位

ついてはどうでしょうか」と述べて、皇籍離脱する皇族には「万が一にも

皇位を継ぐべき時がくるかもしれないとの御自覚の下で、身をお慎みになって

いただきたい」と意見したといいます。

 

 

 

~④に続く~