みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きになります。
宮家とは、元は室町時代に作られた制度で、いざ天皇家が断絶しそうになった
ら天皇を出す役割を担いながら代々世襲される家のことをいいます。
室町以降は皇統断絶の危機が2回ありました。
1回目は伏見宮(ふしみのみや)から天皇を出し、もう1回は閑院宮(かんいん
のみや)から天皇を出すことで皇統は保たれました。
そして、現在の皇室は、閑院宮の血を引いていらっしゃいます。
また江戸期には4つの宮家がありました。
有栖川宮(ありすがわのみや)
の4家です。
しかし、その内3家は継承者不在で既に断絶となり、終戦時には
伏見宮だけが残っていました。
昭和22年に皇籍離脱した11宮家は、全て伏見宮の系統になります。
その伏見宮が創設されたのは今からおよそ600年前の南北朝時代で、
初代伏見宮は北朝第3代・崇光天皇(すうこうてんのう)の第一皇子
でした。
その後江戸末期には、伏見宮第19代邦家親王(くにいえしんのう)が
子沢山に恵まれたため、明治維新後に8つの宮家が伏見宮から分立し
ました。
さらにその後、新しい宮家から分立する宮家もあり、明治期に宮家の
数が増やされ、その後は増減を繰り返しながらも、終戦時には伏見宮
系統の11の宮家が存在していました。
~⑤に続く~