みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの10回目になります。
御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介いたします。
(出典:「木に学べ」)
(法隆寺)
西岡さん「ヒノキという木があったから、法隆寺は千三百年たった今も
のこってるんです。 ヒノキという木がいかにすぐれていたか昔の人は
すでに知っておったんですな。
日本書紀のスサノオ尊のくだりに、スサノオがひげをまくと杉がはえた
。胸毛をまくとヒノキが生え、尻の毛をまくとマキが生え、そして眉毛を
まくとクスノキが生えた、ということが書かれています」
「そして、すでに用うべくを定むとありまして、ヒノキは瑞宮(みずのみ
や)に使え、スギとクスノキは浮き宝(船のこと)せよと書いてある
んです。そして法隆寺も薬師寺もすべてヒノキでできています。神代
からの伝承を受けて、外家さんの宮居(みやいり)であるところの伽藍
はヒノキ一筋ということやと思います」
「わたした一宮大工にとりますと、木ゆうたらヒノキですがな。
ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長いということです。
法隆寺の伽藍の材料がだいたい千年か千三百年ぐらいで伐採されて
材料になってるんですわ。
とおり。ちょうど千三百年ですわな。こんな長い耐用年数のものは
ヒノキ以外にありませんわ」
「しかし、ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を見る
目がなきゃいかんわけや。木を殺さず、木のクセや性質を生かして、
それを組み合わせて初めて長生きするんです。口伝では
「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」ということも
いっております」
〇ノ丞):さすが、木と対話されてきた西岡さん。飛鳥時代に建てられらた
法隆寺。昭和の法隆寺の解体修理を通して、その飛鳥時代当時の宮大工達の
考えていたことまで、すべてお見通しだったということを、これからまた順を
追ってご紹介していきたいと思います。
~⓫に続きます~
(西岡常一さん)