(他のブロガーさん達がこぞって載せておられましたので、私も負けじと載せ
てみました・・・中秋の名月)←競争かっ!
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの11回目になります。
御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介いたします。
(出典:「木に学べ」)
(法隆寺)
「しかし、ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を見る
目がなきゃいかんわけや。木を殺さず、木のクセや性質を生かして、
それを組み合わせて初めて長生きするんです。口伝では
「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」ということも
いっております」
「木のクセは木の育った環境で決まってしまうんです。そのクセを見抜か
なくてはいかんわな。木というのは正直でね。千年たった古い木でも、
ぽっととれば右ねじれは右にねじれてますよ。人間と大分違いまっせ」
「人間は朝に言うてることと、夕方することは違うけどね、木というのは
正直です。千年たっても二千年たってもうそつきませんわ。動けない所で
自分なりに生きのびる方法を知っておるでしょ。私どもは木のクセのこと
を木の心やというとります。風をよけて、こっちへねじろうとしている
のが、神経はないけど、心があるということですな」
「そのだいじなヒノキが、今の日本にはなくなってしまったんです
な。今、日本で一番大きいのが木曽の四百五十年。これでは堂も塔
もできません。木がなくなったら、細々とうけついできた木の文化
もなくなってしいますな。とにかく千年かからんとものにならんの
やから、個人ではあきませんわ」
〇ノ丞):西岡さんが法隆寺の解体修理などを通して学ばれたこと
は、木も人も同じである、ということなのでしょう。
木の一本一本のクセをきちんと把握する。
他の宮大工の心も同じこと。
以前ご紹介した、宮大工の口伝には
ー堂塔の木組みは木の癖組みー
ー木の癖組みは工人等の心組みー
ー工人等の心組みは匠長が工人等への思いやりー
ー百工あれば百念あり一つに統(す)ぶるが匠長が器量なりー
ー一つに止めるの器量なきは謹み惶(おそ)れ匠長の座を去れー
まことに厳しい、宮大工の道ですね。
~⓬に続きます~
(西岡常一さん)