みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
「女性天皇」の4回目です。
三番目の女性天皇である持統(じとう)天皇からは成立の背景が違って
きます。持統天皇は孫の成長を待つために即位しました。
天武天皇の次には皇子の草壁(くさかべ)皇子が皇位を継ぐ予定だったの
ですが、若くして亡くなってしまったために、草壁皇子の子・ 珂瑠(かる)
皇子を継承者とすることになりました。
しかし 珂瑠皇子はまだ若過ぎたため、皇子が成長するまでの間、持統天皇が
天皇に位に就くことになったのです。
四番目の元明(げんめい)天皇は子の成長を待つために、五番目の元正(
げんしょう)天皇と六番目の孝謙(こうけん)天皇・称徳(しょうとく)天皇
はそれぞれ弟の成長を待つための女性天皇となった例です。
一方、江戸時代に859年ぶりに成立した七番目の女性天皇である明正
(めいしょう)天皇はまた違った成立背景を持っています。
朝廷と幕府間の政治的摩擦の結果、成立した女性天皇でありました。
その時代の天皇は後水尾(ごみずのお)天皇でした。後水尾天皇は紫衣
事件(しえじけん)・春日局参内(かすがのつぼねさんだい)事件など
で時の幕府と対立し、天皇は幕府のやり方に対して不快感を抱き、退位
してしまいます。
そして、幕府への抗議の意味を込めて、まだ7歳の内親王を即位させ
ました。
八番目に最後の女性天皇となった後桜町(ごさくらまち)天皇は、
弟にあたる桃園(ももぞの)天皇が若くして亡くなってしまい、
またその皇子もまだ幼少であったために、伯母(おば)が甥(おい)
の成長を待つ形で即位した例なのです。
その5につづく~