(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の3回目です。
<前回の続きから>
おまつりを終えられた一行はまた北へすすみ、美々津(みみつ)につきました。
いよいよ美々津港から船団を仕立てての遠征です。
美々津港にそそぐ美々津川の河口のあたりは、みごとに出来上がった船がつながれ
並んで、伊波礼比古命(いわれびこのみこと・神武天皇)、五瀬命(いつせのみこと
・兄)の一行をまっていました。音もの人々も出発を今日か明日かとまっています。
日向幸脇(さちわき)の遠見(とおみ)では、お船出によいころあいをはかるために、
凧がいくつも空におよいで風のむきをはかっていました。
美々津港についた一行は、あちこちにたむろして船出のときをまちました。
港の岸のそばの岩に、伊波礼比古命も腰をおろされ船出をまたれました。
今もその「神武天皇御腰掛け岩」は立磐神社(たていわじんじゃ)にのこっています。
美々津の人々は船出する人々に、あんこ入りのおいしいだんごをついてさしあげよう
と、どこの家でも小豆を水につけて用意していました。
「起きよ、起きよ!」
と家々の戸を割れるほど叩いて、起こしてまわる人々がかけまわりました。
遠見の凧が、船出にいちばんよい風向きをおしえたので、急に船出がきまった
というのです。
あんこ入りだんごをつくろうとしていた人達は、あわてました。
人々は、臼の中に小豆のあんもいっしょにほうりこんで、「搗入(つきれ)
だんご」をつくって、ようやく船出に間に合わせ、さしあげることができ
ました。
今もこれは「お船出だんご」「搗入れだんご」として美々津として地方に
伝わっています。
また、美々津川の右岸にある立磐神社では「起きよ祭り」が今もおこなわれて
います。
陰暦八月一日の夜、子どもたちが竹ざさに短冊をつけたのをもって、家々の
戸を「起きよ、起きよ」と叩いてまわるのです。
(出典:「歴史人」より」
●参考までに「立磐神社」公式HPを載せておきます。 よろしければご覧ください。
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