(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の7回目です。
<前回の続きから>
命(みこと)の一行は、地盤のとても堅い堅磐(かたいわ)の里につきました。
伊波礼比古命(神武天皇)は言われました。
「ここは加多之萬(かたしま)だ」
現在の福岡県飯塚市の片島が、当時の加多之萬だということです。
五瀬命(兄)と伊波礼比古命は岡田宮にすまわれて、渉(わたり)、慈(じ)の島、
勝島、湯川山(ゆがやま)の馬牧場で、東行のための馬を育てさせました。
〇ノ丞:古事記に記された岡田宮は古代の崗(おか)地方(遠賀郡)を治めて
いた熊族が祖先神を祭っていた社で、現在の住所は北九州市八幡西区。
伊波礼比古命の御宮居地は現在住宅地になっており、元宮の一宮神社には
伊波礼比古命が祭祀を行った祭場跡「磐境(いわさか)」が残っています。
この一宮神社では、後年新羅に遠征する神功皇后(じんぐうこうごう)が
立ち寄り、祭事を行っています。
また、一年間の滞在期間中に、現地に稲作技術を伝えたともいわれて
おります。
※参考までに ☟
やがて、五瀬命と伊波礼比古命の一行は崗水門(おかのみなと・現在の
福岡県芦屋港付近)を出発されました。
(出典:「歴史人」より」