(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の8回目です。
<前回の続きから>
古事記より
《また其の国より上り幸(い)でまして、阿岐国(あきのくに)の
多祁理宮(たけりのみや)に七年坐(いま)す》
一方日本書紀の記述は
《安芸国に至り埃宮(えのみや)に居(ま)します》
周防灘(すおうなだ)に出て、阿岐国(あきのくに・現在の広島)に上陸
しました。里の人々は、竹をきり仮宮をつくっておまちしていました。
この宮を多邪理宮(たぎりのみや)と里の人々はよんでいました。
この多祁理宮と埃宮は同一で、現在の多家神社(たけじんじゃ・広島県府中町)
と伝えられる。
(写真は多家神社HPよりお借りしました)
詳しくはこちらからどうぞ
☟
(出典:「歴史人」より」