(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の12回目です。
<前回の続きから>
カミヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)一行と、ナガスネビコの
軍勢との闘いは、一本の矢によって決しました。
《日本書紀》
「流矢(いたやぐし)有りて、五瀬命(いつせのみこと)の肱(ひぢ)
に中(あた)り、皇師進戦(みいくさすすみたたか)うこと能(かな)
わず」
敵の放った矢がイハレビコの兄のイツセのひじに当たり、天皇軍は
進撃不能となりました。
そして
「却(かえ)りて、草香港に至り、盾を植(た)てて雄詰(おたけび)したまふ」
つまり、イハレビコは白肩津まで退却したが、士気だけは鼓舞した、という。
このときの様子が、大阪市八尾市の竹渕(たこち)神社の《竹渕郷社縁起》
に次のように書かれています。
「上古、神武天皇日向国より岩船の山へ越給う時、当国ながすねひこおそい
奉りしに、当郷の大竹藪の中へ入りたまひ、しばらく皇居成給ふ」
生駒山を越えようとしたが、ナガスネビコに阻まれ、イハレビコらが
撤退した場所と伝承されるのが竹渕神社です。
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(竹渕神社HPより)
(出典:「歴史人」より」