(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の14回目です。
<前回の続きから>
五瀬命(いつせのみこと)の陵(お墓)とみられる円墳が、和歌山市和田
の五瀬命を祀る「竃山神社(かまやまじんじゃ)」の本殿の裏にあります。
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詳細情報
◇◆◇ 由緒 ◇◆◇
このお社は彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ竈山(カマヤマ)に葬られました。今から千年程前の国の法律である延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡 竈山神社」とあり、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社でありました。
しかるに、天正十三年豊臣秀吉が根来寺を伐った時の兵禍により、社地社領を没収され、社殿を始め宝物・古文書など一切を失ひましたが、寛文九年和歌山城主徳川頼宣が再建、歴代の尊崇を捧げました。
明治十八年四月二十二日官幣中社に列せられ、大正四年十一月十日官幣大社に昇格、昭和十三年には国費及び崇敬者の献資を以て、社殿を造営し境内を拡張して現状となつてゐます。大東亜戦争は、人種的差別の撤俳に近づき、東亜諸国の独立といふ大目的を遂げた点で成功と申せませうが、我国自体は敗戦の惨苦を具さになめさせられました。「身を殺して仁をなす」とはこの事です。日本の国のあけぼのに、五瀬命のお示しになつたのもこの事です。
寛政六年の冬、本居宣長はこの社に詣で
「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」
と詠まれました。竈山の岩根に鎮まります御神霊は、この日本の基礎であると共に、永久に世界の安定と発展とをお守り下さることでせう。
(竈山神社御由緒より)
◇◆◇ 祭神 ◇◆◇
(本殿)彦五瀬命
(左脇殿)神日本磐余彦命、御毛入沼命、稲飯命
(右脇殿)高倉下命、可美眞手命、天日方竒日方命、天種子命、天富命、道臣命、大久米命、椎根津彦命、頭八咫烏命
このお社は彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ竈山(カマヤマ)に葬られました。今から千年程前の国の法律である延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡 竈山神社」とあり、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社でありました。
しかるに、天正十三年豊臣秀吉が根来寺を伐った時の兵禍により、社地社領を没収され、社殿を始め宝物・古文書など一切を失ひましたが、寛文九年和歌山城主徳川頼宣が再建、歴代の尊崇を捧げました。
明治十八年四月二十二日官幣中社に列せられ、大正四年十一月十日官幣大社に昇格、昭和十三年には国費及び崇敬者の献資を以て、社殿を造営し境内を拡張して現状となつてゐます。大東亜戦争は、人種的差別の撤俳に近づき、東亜諸国の独立といふ大目的を遂げた点で成功と申せませうが、我国自体は敗戦の惨苦を具さになめさせられました。「身を殺して仁をなす」とはこの事です。日本の国のあけぼのに、五瀬命のお示しになつたのもこの事です。
寛政六年の冬、本居宣長はこの社に詣で
「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」
と詠まれました。竈山の岩根に鎮まります御神霊は、この日本の基礎であると共に、永久に世界の安定と発展とをお守り下さることでせう。
(竈山神社御由緒より)
◇◆◇ 祭神 ◇◆◇
(本殿)彦五瀬命
(左脇殿)神日本磐余彦命、御毛入沼命、稲飯命
(右脇殿)高倉下命、可美眞手命、天日方竒日方命、天種子命、天富命、道臣命、大久米命、椎根津彦命、頭八咫烏命
(竈山神社HPより)
続き
《古事記》
「故神倭伊波礼比古命(かれかむやまといはれびこのみこと)、其地(そこ)
より廻り幸(い)でまして、熊野の村に至る時に」
紀国・竃山(かまやま)に兄の五瀬命を葬ったイハレビコ。
《日本書紀》
「軍名草邑(なぐさのむら)に至り、則ち名草戸畔(とべ)というふ者を
誅(う)つ」
その後イハレビコは、現在の和歌山市内の名草山付近に勢力を持つ名草戸畔という
首長を討伐した。
(出典:「歴史人」より」