(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の17回目です。
<前回の続きから>
熊野の荒ぶる神を倒したイハレビコ(後の神武天皇)。
その後高天原からの支援が引き続き行われます。
《古事記》
「高木大神(たかきのおおかみ)の命以(も)ち、覚(さと)し白(まお)
さく『天つ神の御子、此れより奥つ方にな入り幸(い)でましそ。荒ぶる
神いたし多し。今天より八咫烏(やあたがらす)を遣はさむ』
「此の鳥の来ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。我が皇祖(みおや
)天照大神、以ちて基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲せるか」
イハレビコは八咫烏の船頭で熊野の山を越えていきます。
この八咫烏は熊野本宮大社の摂社として、八咫烏社が明治22年まで熊野川
沿いの大斎原に祀られていましたが、後に川の氾濫で流失していまいました。
(写真は熊野本宮大社HPよりお借りしました)
その後、八咫烏の導きで「吉野河の河尻」に至ったイハレビコ(後の神武天皇)は、
三人の国つ神(地上の神)に出会います。
「汝は誰ぞ」
そのように問うイハレビコに対し、国つ神らは
「僕は国つ神、名は贄持之子(にへもつのこ)と謂(い)ふ」
「僕は国つ神、名は井氷鹿(ゐひか)と謂(い)ふ」
「僕は国つ神、名は石押分之子(いはおしわくのこ)と謂(い)ふ」
「今天つ神の御子幸行でますと聞く。故、参向かへつるのみ(天つ神の
ご子孫がお出でになると聞き、お迎えに参りました)」
この贄持之子は
「時に筌(うへ)を作り魚取る人有り。此は阿陀の鵜養(うかひ)の祖」
竹で編んだ筒状の道具で漁をし、阿陀の地で鵜飼いを生業とする祖先。
この井氷鹿は
「尾生(お)ふる人井より出で来。其の井光有り」
この石押分之子は
「また尾生ふる人に遇へり。此の人巌(いはほ)を押し分けて出で来」
「尾生ふる」とは、木こりなどが尻当てを垂らしている姿がそう見えた
と言われています。
阿陀の鵜養(うかひ)の祖となった贄持之子とのゆかりを思わせる神社
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(出典:「歴史人」より」