(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の19回目です。
<前回の続きから>
一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。
《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を
のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。
叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂
(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》瓮
この高倉山は、宇陀松山城があった古城山か、高倉山顕彰碑が立つ
高角神社付近が候補地だといわれています。
《賊虜(あなども)の拠る所は皆是要害の地なり。故、道路絶え塞り、
通ふべき処無し》
奈良盆地に通じる峠道はすべて、ヤソタケルによって封鎖されてしまいました。
その夜、困惑したイハレビコが祈誓(うけい・神意をうかがう占い)を立てて
休むと、夢の中に天神(あまつかみ)が現れて窮余の一策を授ける。
「天香山(あまのかぐやま)の社の中の土(はに)を取りて、天平瓮(あまの
ひらか・平らな皿)八十枚(やそひら)を造り、あはせて厳瓮(いつへ)
(神酒を入れる清浄な瓶)を造りて、天神地祇あまつかみくにつかみ)を
敬(ゐやび)祭り、また厳呪詛(いつのかしり)をせよ。如此(かく)せば
虜(あた)自づから平伏(むきしたが)ひなむ」
夢のお告げの通りに厳呪詛が行われたのは、丹生川神社(にうかわじんじゃ・
奈良県吉野村)のそばで、三本川が合流する仙境「夢淵」と伝わっています。
(写真は「丹生川神社」公式HPよりお借りしました)
イハレビコはそこでも、水中に厳瓮を沈めて誓約を立てた。
イハレビコはその後、厳瓮の神饌を食し、敵陣に向けて出陣します。
(出典:「歴史人」より」