(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の18回目です。
<前回の続きから>
吉野地方を帰順さんせたイハレビコは、山道を北上し宇陀(奈良県宇陀市)
に至ります。
その地には兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)がいました。
《古事記》
八咫烏を遣はして、二人を問ひて曰く
「今、天つ神の御子、幸行でませり。汝等仕え奉らむや」
それに対し、エウカシは八咫烏に鳴鏑 (なりかぶら・音のなる矢)
を射るなど反抗的な行動に出ます。
一方オトウカシはイハレビコの元に参上し、
「兄エウカシは氾濫の軍勢を集めたが、うまくいかなかったため謀略を
企んでいる」
そして
「殿を作り、其の殿の内に押機(おし)を張りて、待ち取らむとす(大きな
建物を作って押機を仕掛け、御子を殺そうとしています」
この押機とは、人が入ると天井が落下し、圧死させる仕掛けというもの。
さて、宇陀市にあります桜実神社には、イハレビコが陣を張った際に
植えたといわれる「八つ房杉」があります。
(上の写真は「巨樹と花のページ 」よりお借りしました)
(こちらの写真は「宇陀市観光協会情報サイト」よりお借りしました)
この桜実神社から約1.5キロ北東には「宇迦斯神魂」を祀る
『宇賀神社』が」あり、付近にはエウカシの邸宅と殿があったと
される高台があります。
やがて兄のエウカシを討伐したイハレビコ一行は宇陀(奈良県宇陀市)を攻略。
その後「古事記」では、そのま忍坂(おしさか・奈良県桜井市忍坂)に入ったと
記述されています。
一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。
《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を
のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。
叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂
(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》
(出典:「歴史人」より」