(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の23回目です。
<前回の続きから>
《畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)に坐(いま)して、天の
下治(し)らしめしき》
現在は大和三山の一つに数えられる畝傍山(うねびやま・奈良県橿原市)の
麓の橿原に宮殿を建て、そこで三種の神器をまつり、正式に初代天皇として
即位し、政治を行いました。
現在の太陽暦で2月11日のことです。
「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ」
と記述があります。
日本書紀三
《我東に征きしより茲に六年になりぬ~然して後に六合をかねて以て都
を開き、八紘を掩ひて宇と為むこと、また可からずや~」》
いわゆる「八紘一宇」(または八紘為宇)といわれ、つまりすべての民は同じ
一つの家族である、ということです。
この「民」も「おほみたから」と呼んでいて、「たから」とは「宝」のこと
ですね。
また、この精神は国家「君が代」にも表れていて、君が代の歌詞の中に
『さざれ石』とありますね?
この意味するところは、お互いに違う所があっても認め合い、一つになろう、
という意味だと思います。
だから歴代の天皇は、初代神武天皇のこの精神を代々受け継ぎ、国家の安寧
と国民の幸せをずーっと祈り続けてきたのでした。
それが日本という国の根本として、国民の心の根底に流れ、その祈りが国民を
一つに結び付けているのです。
外国の王朝の歴史のように、民を犠牲にして自分が贅沢をする、とか自分とその
家族のために権力を握り、使う。そのような歴史とはまるで異なりますね。
さて、この畝傍山の頂上から一キロ以内には神武天皇陵のほかに、二代綏靖天皇
(すいぜいてんのう)、三代安寧天皇陵、四代懿徳(いとく)天皇陵があります。
その一角には久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)があります。
祭神は大来目命(おおくめのみこと・以下オオクメ)。イハレビコの臣下で、
イハレビコの腹心として、天皇の信頼は大なるものがあった一人。
(出典:「歴史人」より」