(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の24回目です。
<前回の続きから>
その時、上記のオオクメが申し出ます。
《大后(おほきさき)を為(せ)む美人を求(ま)ぎたまふ白(まを)さく、
大久米命白(まを)さく
「此間(ここ)に媛女(をとめ)有り。是れ神の御子と謂ふ》
皇后候補となったのはイスケヨリヒメといい、大和三輪山の神・オオモノヌシ
の娘にあたります。
(日本書紀ではイスケヨリヒメの父を大国主命の子のコトシロヌシと記し
ています)。
コトシロヌシは高槻市三島江にあります三嶋鴨神社にて祀られています。
(写真は三嶋鴨神社公式HPよりお借りしました)
《伊須気余理比売(いすけよりひめ)の家、狭井(さい)河の上に在り。
天皇、其の伊須気余理比売の許に幸行(い)でまして、一宿御寝坐しき》
神武天皇とイスケヨリヒメは結婚します。
狭井川は、イスケヨリヒメの父、大物主神を祭る大神神社(おおみわじんじゃ・
さて、イスケヨリヒメを皇后に迎えた神武天皇は、やがて三人の御子に
恵まれます。
《然してあれ坐(ま)せる御子の名は、日子八井命(ひこやいのみこと)、
次に神八井耳命(かむやいみみのみこと)、次に神沼河耳命(かむいなかは
みみのみこと)。三柱》
神武天皇の跡を継ぎ、二代天皇となるのは末子のカムヌナカハミミです。
後の綏靖天皇(すいぜいてんのう)で、宮殿は高岡宮。45歳で崩御され、
御陵は畝傍山(うねびやま・橿原市)の麓にある神武天皇陵の北側に
あります。
(出典:「歴史人」より」