(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の25回目です。
<前回の続きから>
《皇興巡幸(すめらみことめぐりいでま)す。因(よ)りて掖上(わきがみ)の
ほほまの丘に登りまして、国状(くにのさま)を廻望(めぐらしのぞ)みて》
《奸哉(あなにや)、国獲(え)つること、内木綿(うつふき)の真迮国(
まさきくに)と雖(いふと)も、猶(なほ)し蜻蛉(あきづ)のとなめせる
が如もありかも》
「ああ、なんと美しい国を得たことよ。本当に狭い国であるが、あたかも
トンボが交尾をしているようでもあるよ」
つまりは稲穂が実り、その上をトンボが舞っている風景を重ねて、いかに
国が繁栄しているか、その様を描いていると思われます。
続けて
《夫(そ)れ大人制(ひじりのり)を立てて、義(ことわり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやし)くも民(おおみたから)に利(かが)有らば、何ぞ聖の造(わざ)
を妨げむ》
「聖人は制度を立てるものであり、その道理は必ず時勢に適合する。民にとって
利益になることであれば、聖人の業にどんな妨げも起こらないであろう」
〇ノ丞:上記の言葉のなかに「民(おおみたから)」とありますね。
歴代天皇が国民に対して、代々このように想ってきたからこそ、君主である
天皇と民は、長い年月を一体のこころで結ばれてきたといえましょう。
国民をそのように想う君主が、世界のどの国にありましょうか?
国民の父母のごとく、民をいつくしむ。
日本にいると当たり前のことのようですが、外国で同じような国柄を
持つ国を探すのは、至難の業ですよ。
(写真は御所市観光ガイドよりお借りしました)
(この現代の感覚からすれば長すぎる寿命について、古墳時代後期までは
一ヶ月の長さを15日とする二倍暦などが存在し、現在では実際の寿命を
書記の半分程度とする説が有力視されています)
(出典:「歴史人」より」