みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
(写真はwikipediaより)
前回の続き
古事記・日本書紀には天照大神と須佐之男命の誓約の後、別な形で再び
勾玉(御璽←ぎょじともいう)が登場します。
高天原で須佐之男命が余りにもひどい乱暴を働いたので、天照大神はそれに
怒って天石屋(あめのいわや・高天原にある洞窟のこと)の中に引き籠って
しまいます。
誓約のときに使われた天照大神の勾玉と、天照大神の石屋隠れの際に作られ
た勾玉の関係は、古事記・日本書紀には何も書かれてはいません。
そして、これらの勾玉と、宮中に奉安されている八尺瓊勾玉との関係に
ついては何も書かれてはいません。
しかし、いずれにせよ高天原の天照大神周辺にあった勾玉が、八咫鏡と
草薙剣と共に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨によって葦原中国
(あしはらのなかつくに・地上のこと)にもたらされた八尺瓊勾玉と
考えられます。
なぜなら、誓約の時に天照大神の勾玉から生まれた五柱の男神の内の
一柱(神様は一人を一柱と書き表します)は、天之忍穂耳尊(あめの
おしほみみのみこと)で、その息子が瓊瓊杵尊だからです。
三種の神器は、瓊瓊杵尊が地上に持ち込んだのですから、瓊瓊杵尊の父親
が天照大神の勾玉から生まれたというのは、納得のいく話しではないで
しょうか。
瓊瓊杵尊が持っていた三種の神器は、それぞれ別々の経過を辿って、
現在は別々の場所に祀られています。
鏡と剣には形代(レプリカのこと)が作られた逸話が伝わっていますが、
勾玉についてはそのような逸話はありません。
つづく