みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回は「阿含経を読む 1」という本から、お釈迦様の素晴らしい
ことばが載っていましたので、それをご紹介いたします。
P232『「慈教」(じきょう・小部経典、経集、1,8)と名づける
一経があります。比丘(びく・修行僧のこと)たちは、人なき静処に
ひとり坐して修行するとき、これらの章句を念誦(ねんじゅ)して坐する
をならいとしたということであります』
”慈悲のことば”
よく教えの道理を会得したものが、
自由の境地をえてのち為すべきことはこれなり。
有能、率直、そして端正なること、
よき言葉を語り、柔和にして、高慢ならざること。
足ることを知りて、養いやすきこと、
雑事にかかわらず、簡素に生くること、
五根を清らかにして、聡明、謙虚なること、
檀越(だんおつ)の家におもむいて貪(むさぼ)りなきこと。
卑賎なわざをなして識者の非難をうくるなかれ。
ただ、かかる慈しみのみを修すべし。
生きとし生けるものの上に、
幸いあれ、平和あれ、安楽あれと。
あたかも、母性がそのひとり子を、
おのが命を賭してまもるがごとく、
生きとしいけるものの上に、
かぎりなき慈しみの思いをそそげ。
また、一切世間のうえに、
かぎりなき慈しみをそそげ。
上にも、下にも、また四方にも、
うらみなく、敵意なく、ただ慈心をそそげ
〇ノ丞):とても味わい深いお言葉ですね。
お釈迦様の心の中というのは、このようなものなのでしょう。
ちなみに、阿含経とは初期仏教の経典の一つ。
当ブログでたまに記事にあげます「ブッタのことば」(スッタニパータ)