中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

古代のにほん 私が思うお祭りのはじまりは?

 

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(写真は静岡県富士宮市の山宮浅間神社。古代の形式に近い、磐座があるだけの

簡素なつくりになっています)

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

なぜ日本には神社はあるのでしょう?

 

どうして古代の日本人は神社をつくったのでしょう?

 

について、今回は色々と語ってみたいと思います。

 

 

 

昔、弥生時代にの日本に稲が伝来してきました。

 

春に田植えをし、熱い夏を通り越して、実りの秋を迎える

 

春の田植えの時には、お日様や大地の神様に稲の生育を祈り、

そして山から神様が降りてきて苗を成長させていく、と考えて、

山の神様にも祈りを捧げる。

 

秋には、無事に稲が生育して自分達の食料が確保できたことに対して、

神々に感謝の祈りを捧げる。

 

でもって、神様の依代として大きな岩や木(または神籬・ひもろぎ)

に神様をお呼びして、感謝の言葉を宣り、村の人達総出で集まって

神様にできた米や野菜などの供え物を捧げて、受けた恩に感謝を示す、

こういったことが今の神社の始まりであったろうと私は思います。

 

例え神様や霊が見えなくても聞こえなくても、現実に稲は生育して

いき、自分達が生きていくための食べ物となる。

春夏秋冬・四季が繰り返され、星の運行も毎年決まっている。

これは、人間の力ではとうてい成し得ない「何か」の力によって

動いている。

それを、古代の人間は農業をしていく上では目の当たりに感じ、

それを「神」とか「神霊」とかの名称で呼んでいた。

これは宗教とは関係なく、生きていく上での日常のこと。

 

ごく単純に、自分達の力の及ばない「何か」に対して畏れや畏怖の念

を持ち、また出た結果に対して感謝の意を示すことは、人として当たり前

の行為だといえます。

だって、現に食物が実ることで生きていけるのですから。

 

このようなごく簡単なことが、「神様」すなわち人間ではとうていできない

ことをされている神様に自然とお祭り(お祀り)をして感謝するという習慣が、

神社の原型として生まれたものと考えています。

 

日本の神社はほとんど全て、2月に祈念祭と9月に収穫祭がセットであります。

2月の祈年祭とは、これからの五穀豊穣を祈ります。

9月の収穫祭は伊勢の神宮では神嘗祭や、あるいは秋のお祭りが全国的に

行われますが、これも稲(米)の生育のサイクルに合わせてあるのですね。

 

古代は今と違って、食料が大変貴重なものであり、もし不作にでもなろうもの

なら、それが即刻死に直結するか、あるいは部族間の争いにもなりますので、その

当時の人々の祈りというのは、現代の豊かなご時世に比べて大変重要な、それこそ

命掛けのものだったのではないか、と想像します。