中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

仕事は「目で見て盗めVS教えてもらって当然」という記事を見て思ったこと その1



先日、仕事に関するあるネット記事で

「目で見て盗めVS教えてもらって当然」という記事があった。

 

いわゆる「昔のやり方VSゆとり世代」という世代間の考えの違いを書いた

ものだった。

 

これについて私が感じたのは、仕事うんぬんの考えの違いはもちろん考える

必要があるだろうが、このテーマの事よりも、その前にまずその記事を書く

ライターの

『何とかして売れたい』

という気持ちが見え透いた感じがしたのが第一印象でした。

 

 

ライターなら、当然記事を書いて売れたいだろうし、売れれば原稿依頼や

取材などで収入を得ることができる。

そこには純粋な気持ちも混ざっているとは思うが、マスコミやネット記事

などの業界で名を売るというのは、同業者が履いて捨てるほどいるので、

名を売るのも至難の業だろうと思う。

 

そこで売れようと思えば、まず何かと何かを対決させて、分ける、そして

問題点を作り出して記事にすれば、人の目にとまりやすい。

 

 

よく、テレビ番組で考えの違う人を集めて、激論や怒鳴り合う様を作り

出して視聴率を稼ぐ、あの手法。

 

例えばプロレスなどのエンタメでは主流のやり方ではあるが、そこに

対立構造を作ってやれば、人の関心をよびやすいということはある。

 

まあ、人間て人が喧嘩したり争ったり、誰かがこんな悪い事をした、的など

という週刊誌がやる事などは好きな部分があるでしょうし。

反対に、誰かが結婚したとか、収入が何億だとか、という良い事が

あると、素直に喜べる人もいるが、反対に妬みや悪口を言う人も

出てくる。

 

芸人でも、人の欠点や悪口をいってのし上がっていった人もいる。

誰とは言わないが

「面白ければよい、視聴率を稼ぐことができる人間を出す」というテレビの

姿勢には、観ていて気持ちが悪くなるときがある。

だからそういう人間が出ている番組は、見ないようにしている。

 

世には炎上商法とかもあって、誰かを蹴落としたり、悪口を言ったりして

有名になる、売れる人間になった、てのは見ていてなんか情けないな、と思う。

 

ブログ関連の本でも、そういった「炎上」を肯定的に書き、あくまで

ブログで稼げるようになるための、必要悪な一手段的として書いている本もある。

 

その考えは、売れたい芸人や芸能人と一緒だと思うが、「お金」や「地位・立場」

を得るために、というのがが目的となっているのは私はやりたくない、と思う。

というか、「義理・人情」や「気持ち・心」を忘れないようにしないと、人間て

どこまでも堕ちていくものだとも思うので。

 

 

 

さて個人的に、「目で見て盗めVS教えてもらって当然」のテーマに

ついて私の所感を書いてみます。

 

まず「仕事は見て盗んで覚えろ」ですが、これは日本の伝統芸能では

お馴染みのもので、例えば、落語などは師匠から直接口伝で教えられ、その師匠の

そのままの語り方を自分に叩きこむやり方です。

 

また、皇室には「内掌典」という役職があり、これは宮中三殿の「賢所

という天照大御神が祀られているところをお世話する方ですが、この

内掌典も、その仕事の内容は先輩から口伝で伝えられ、文字に書いたり

することはゆるされていません。

 

歌舞伎もそうでしょう。親や先輩方の芸を教えてもらい、そのままを

継承していく。

 

 

では、「見て盗め」はどういう効果があるでしょうか?

 

 

結構長くなってしまいましたので、続きは次回のその2に書きます!