中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

仕事は「目で見て盗めVS教えてもらって当然」という記事を見て思ったこと その2



みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の「目で見て盗めVS教えてもらって当然」の続きです。

 

 

では仕事は「目で見て盗め」はどういう効果があるのでしょうか?

 

 

例えば、まず集中していないとできない。そして自分の頭の中で

「どうしているのか、どうやっているのか」を想像しながら、という

「自分の頭で考える」という癖ができます。

そして、何としてでも自分のものにしたい、身につけたいという

積極的な姿勢になります。

 

 

 

それが、「教えてくれ、そうじゃないとできない」だと、確かに手取り足取り

教える事はできるし、相手に合わせてやるのは簡単なことです。

しかし、例えば長い年月の経って、その教えた技術を使う仕事が時代の流れで

無くなってしまった場合、気づけばもう教えてくれる人は周りにいません。

 

その時に、自分の頭で考えて、工夫し、努力を重ねてきた人ならば、

例え一つの仕事が無くなっとしても、また新たな分野の技術を考え

ていける底力があり、体も頭も長い時間をかけてそのように習慣づけて

いますから、時代が変わっても対応できます。

 

 

それに較べて、人から教えてもらうことが当然で、自分で考えたり努力

したりということをしてこなかった人間は、そのような積み重ねた腕も

成功体験も、自信もないので、誰もやったことがない、新しい分野の

ものを、急にやれといってもなかなか対応ができません。

 

 

一方で、技術職で高い技術を持つ職人さんにしかできない技を、データ化

しりして、誰でもできるようにしよう、とするやり方もあります。

 

ただ、先に書いた通り、ある一つの技術をデータ化したとしても、

その技術を使う仕事が時代の流れで無くなってしまったら、それで

おしまいです。

 

 

「目で見て盗め」とは、要は自分で切り開いていく力を身につけろ、この先

会社の経営危機や、不況で仕事が無くなった時に、頼れるものは自分

だけである、だからその力を若いうちから鍛えろ、ということだと私は思って

います。

 

私は仕事でモノづくりを長くやっていますので、これは経験にもとづいて

断言できます。

 

 

「自分で道を切り開いていこうとする」人と、「言われたことだけやる」人間と

では、10年、20年経つと埋めようもない開きがでます。

時間をかけて目に見えない努力を積み重ねて実力を蓄えた人は、たとえ不況に

なっても新しい技術や製品を生み出すことで、会社や社会に役に立つことで

喜びを感じ、それがひいては自分の給料に反映される。

そしてそのことで仕事が楽しく、面白くなっていくというご褒美が与えられます。

 

 

そのために大事なのは、ある技術を獲得するために、失敗を繰り返し、技を

体に覚え込ましたりするという膨大な「手間・失敗・無駄」が大事なのです。

そして、幅広い知識も必要です。

 

 

いわゆる「合理的」とは関係のない話しなのです。

いや、そういった山のような失敗や手間、無駄な努力こそが・・・

 

 

長くなりましたので、その3に続きを書きます。