中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

ウクライナ戦争で史上初めて本物の原発が軍事攻撃をいまも受けている、その想像を絶する事態に、日本は国民とエネルギーを護れるのか、その緊急課題にとって大きな一歩を刻みました(青山繁晴参議院議員ブログより)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回に引き続き、青山繁晴参議院議員のブログからの転載です。

 

 

今回は青山議員がオーストリアのウィーンにあるIAEA国際原子力機関)を

訪れて、グロッシー事務局長と直接会談をされたときの模様を、青山議員ご自身

のブログにて発信されています。

 

 

エネルギーや危機管理・外交などの専門家として、国会議員になる前の民間時代

から世界各国をまわって、それぞれの国の関係者と深い議論を積み重ねて信頼関係

を築いてきた青山議員。

 

 

その長年の実績によって今回の会談が成立したものですが、もちろん日本のどこの

メディアからも報じられることはありません。

 

 

ということで、ブログ記事の最後には、今回の会談の模様をグロッシー事務局長

自身のツイッターに写真入りで載せておられます。

 

 

日本と日本国民のために活動されている、いち国会議員の姿を、是非知って頂き

たいと切に思います。

 

 

 

 

 

 

 

以下、青山繁晴参議院議員ブログ「on the road」よりそのまま転載~

 

 

ウクライナ戦争で史上初めて本物の原発が軍事攻撃をいまも受けている、その想像を絶する事態に、日本は国民とエネルギーを護れるのか、その緊急課題にとって大きな一歩を刻みました

 

 

 

▼世界の原子力の平和利用をひろく統括するIAEA ( 国際原子力機関 ) のグロッシー事務局長と、ウィーンの本部で、現地時間1月13日の朝、バイ ( 一対一 ) の会談をおこないました。

【Photographer: Dean Calma, IAEA

 

 

▼その朝、わたしは、連携して海外の原発調査を遂行している独立総合研究所 ( 独研 ) のヘイワース美奈研究員 ( 右から2人目 ) 、そして日本国外務省のウィーン代表部の外交官らと共に、早めにIAEAの本部に入り、グロッシー事務局長を待ちました。

 周りには緊迫した雰囲気もありましたが、いつも通り、わたしは緊張しません。
 自作の銘である、脱私即的 ( だっしそくてき ) 、わたくしを脱しほんらいの目的に即 ( つ ) く。
 ほんらいの目的は、会談を上手くこなしたいという私心 ( わたくしごころ ) を満たすことでは無く、日本国民を護ることです。
 わたくしを考えていなければ、緊張はしないのです。

▼グロッシー事務局長は、ウクライナ戦争でロシア軍がチェルノービリ原発ザポリージャ原発への砲撃、占拠を開始してから、それまでの忙しさとは比べものにならない忙中にいらっしゃいます。

 その任務は、世界を原発大破壊の恐怖から救うことです。
 もしもこの原発への軍事攻撃を放置すれば、かつてのチェルノービリ原発事故を上回る、放射線物質の膨大な漏洩を招き、無数の死を呼ぶでしょう。
 それは、放射線障害では実はひとりの死者もいない福島原子力災害 ( 一方で、誤った避難などによって災害関連死として多くの同胞を喪いました ) と本質的に違う、目を覆う悲惨極まりない事態ともなります。

 そこでグロッシー事務局長は、IAEAのトップとして、チェルノービリ原発にもザポリージャ原発にもみずから危険を顧みずに入り、戦争の現場でロシア軍と交渉し、ウクライナ軍と協議し、さらにプーチン大統領、ゼレンスキー大統領それぞれとも直接交渉をおこなっています。
 このグロッシーさんの直接行動があってこそ、IAEAの担当官の現地常駐も実現しています。

【Photographer: Dean Calma, IAEA

 

 

▼グロッシー事務局長が登場されました。
 現在の情況で、ふつう会えるはずはありません。
 わたしは、プーチン大統領でもゼレンスキー大統領でもなく、岸田総理でもなく、ひとりの日本の国会議員に過ぎません。

 この困難を打ち破って、会談を実現した外務省のウィーン代表部のみなさんは、ほんとうに志ある良心的な努力を積み重ねてくださいました。
 陣頭指揮をとられた引原毅大使をはじめ、みなさんに、まことに僭越ながら国民に代わってお礼申しあげます。

 また、グロッシー事務局長の側も、わたしの経験と専門的知見に深い敬意を払ってくださっていることを、複数の関係者からお聞きしていました。
 不肖わたしが福島原子力災害において事故が進行中に構内に入り、つぶさに現実を調べた、世界でただひとりの専門家となった事実を踏まえてのことです。

 そのうえで、原発へのあってはならない軍事攻撃が現在も進行している事態に対して、どう臨むか、また日本のエネルギー源の欠かせないひとつである原発をロシア軍、北朝鮮軍、中国軍の脅威からどのように護るかについて、専門家同士で直球を投げ合う議論を期待されていたとも、お聞きしていました。

【Photographer: Dean Calma, IAEA

 

 

 

▼真っ直ぐな議論は、予定時間の3倍ほどになりました。

 まず、わたしは、ロシア軍の軍事攻撃が今もずっと続くザポリージャ原発が、実際はどうなっているのか、初めて具体的に、かつ包括的に把握できました。
 その内容は、この無条件の公開情報であるブログでは、お話しできません。
 ロシアの工作員も、もちろん熟読、吟味しています。

 しかしグロッシー事務局長がわたしを信頼し、胸襟を開いて、ときおり鷹のように鋭い眼になりながら、わたしの遠慮なき問いに対して、すべて応えてくださっているとき・・・誇張なく、背筋が凍っていました。
 国際社会、なかでも民主主義国家群が団結して、ザポリージャ原発を解放しないと、かつての世界大戦の死者数に近づく空前の事態にもなりかねません。

 まず、この事実を、専門家であると同時に日本の現職の国会議員が把握したということは、事前には想像できなかった成果となりました。
 わたしはすべての成果を、日本政府に提供します。

 この出張は、ウィーンのIAEAだけではなく、7か国を回るすべての費用が、自費です。したがって常に、わたし自身が自由に判断できます。
 自費であっても、すべて公共目的の出張ですから、成果は何もかも政府に提供し、そしてそれに基づいて深く、実際的な議論を致します。
 日本と日本国民を、独裁主義による不合理な厄災や死から護るために、帰国後も、一日も休むこと無く直ちに動くのです。

【Photographer: Dean Calma, IAEA

 

 

▼会談後、関係当局者がわたしに、グロッシー事務局長のツイッター(Rafael MarianoGrossi@rafaelmgrossi)をコピーして、渡してくれました。
 そのときわたしは、パソコンなどを持ち込んでいないからです。

 文面には、グロッシー事務局長みずから打ち込んだ、印象深いコメントがあります。
 わたしが仮訳をすると、こうです。

青山繁晴参議院議員を迎えることは、喜びだった。
 青山さんは、核の安全とセキュリティ ( 防護 ) の分野で、広範囲な知識と経験を持っている。
 日本国はIAEAのさまざまな活動の強力な支援者であり、そこには、ウクライナ戦争におけるわれわれの任務への支えも含まれる。
 私は、われわれのより増強した連携を期待している ! 」

▼グロッシーさんとの会談をめぐるエントリーは、このあとも続けます。
 いま現地時間の午前4時50分です。
 すこしだけでも仮眠しないと、いけません。
 みなさん、また、あとで。

 ぼくの支えは、みなさんひとりひとりだけです。
 そして、これへ来てくださること、これを読んでくださること、それらが具体的な支えです。 

 

 

 

 

続きまして次の日の青山さんのブログ記事です(〇ノ丞)

            ☟

 

 

 

恐ろしい強行軍でロンドンに着いたら、ショックが待っていました  ふつうには小さなこと ? わたしには痛いショック

 

 

 

オーストリアの首都ウィーンのIAEA ( 国際原子力機関 ) 本部では、グロッシー事務局長との正式会談が終わったあと、ふたりだけの小声の会話がなお、続きました。

 

 

▼正式会談は、ひとつ前のエントリーの、IAEAの公式カメラマンによる写真にありますように、IAEA側も日本国側も、関係の当局者が同席します。
 日本側は、外務省のウィーン代表部の外交官、外務省からIAEAに派遣されている担当官、そして今回の出張で連携している独立総合研究所 ( 独研 ) のヘイワース美奈研究員です。

 今回の会談では、同席者の発言はありませんでした。
 すべての議論は、日本の国会議員であるわたしと、IAEAのトップであるグロッシーさんの一対一で行いました。

 それだけ高度に危機的、そして専門的、さらには国際政治の要素を深く含んだ議論だったと言えます。

 

 

▼グロッシーさんは別れを惜しみ、今後の深い連携について、言葉を重ねてくれました。
 戦争さなかのウクライナに6度にわたって入っているひとです。
 みずからをあえて危険に晒して現場に入ることによって、あのプーチン大統領にも、ゼレンスキー大統領にも、強い発言力、影響力をつくったリーダーであることが、今回の会談でよおく分かりました。

 不肖わたしは、福島第一原発が事故のさなかに、日本の専門家が実際にはすこしでも福島から遠ざかろうとしているなかで、いわば逆方向へ、事故の中心に向かい、吉田昌郎所長の許可を得て、福島第一原発の構内に入りました。

 そして爆発も起こした原子炉建屋の情況や、津波に襲われた海側の実状、構内の破壊のほんとうの現実をつぶさに調べました。
 苦闘する作業員のかたがたと共に、専門家として事故の実態を把握しました。

 その後の福島第一原発はすでに安定し、外部から人が入れるようになり、すっかり情況が変わったなかで廃炉に取り組む日々ですから、事故の最中の構内を知る専門家は世界でひとりとなりました。
 ( 作業員のかたがたは異なる立場で、もちろん現場を深く知悉され、あれから12年目となっても戦い続けておられます。深い敬意をあらためて捧げます。・・・あくまで、客観的な専門家としては事故当時の現場を知るのがひとりしかいない、という意味です ) 
 グロッシーさんは、この事実を知っています。

 そしてわたしは、過去に戦地にみたび、入っています。グロッシー事務局長と同じく、丸腰です。
 これらすべての目的は、現場を踏む、それです。
 グロッシーさんと、そこに深い共感がありました。

 これから長く、連携していくことになります。
 グロッシーさんが、わたしの大好きなアルゼンチン出身なのも、なにかのご縁です。

 グロッシーさんは大の親日家でもあります。日本国民の支持も、わたしから伏してお願いしたいと思います。

 

 

▼グロッシー事務局長との会談をすべて終えたあと、IAEA事務次長のエヴラールさんとの会談に臨みました。
 事務次長は複数、いらっしゃいます。
 原発大国フランス出身のエヴラールさんは、IAEAの「原子力安全・核セキュリティ」担当部門のトップです。
 わたしは、国家安全保障をはじめ5つの専門分野がありますが、原子力に関しては、この「核セキュリティ」が専門です。
 それはふつうPPと呼びます。
 Physical Protection 核物質防護です。

 したがって、さらに詳細に踏み込んで、チェルノービリ原発ザポリージャ原発に、あり得ないはずの軍事攻撃が起きているなかでのPPを議論しました。

▼非常に高度な「秘」の議論であるため、公開情報であるブログで明らかにするようなことは、できませぬ。
 ただ・・・再生可能エネルギーをはじめ他のエネルギー源とベストミックスを図りつつ、再生可能エネルギー万能論にも立たず、最善の原子力の平和利用を進めるために、軍事攻撃という、これまでは想定外だった脅威にも立ち向かっていくことでは、いわば魂から、同意しました。

▼このIAEA訪問は、金曜でした。
 それが終わると、週末となりました。
 一般的には、国際機関も、動きが止まります。
 しかし不肖わたしは、前述のように他に複数の専門分野がありますから、暗号化された電話とEメールで、仕事があります。
 また日本をはじめ世界各国には時差があります。世界一斉に週末になってくれればいいのですが、そうではないので、あちこちと協議、議論もあります。

 それでも滞在しているウィーンで、ほんのわずかな歓びがありました。
 それは、シューベルトの生家を訪ねることができたことです。別エントリーでみなさんにお見せします。

▼しかし、あっという間に移動です。
 いま英国のロンドンで、1月16日月曜の深夜、午前2時ちょうどです。
 きょうの朝8時40分にホテルを出て、イギリスの政府当局者と議論します。
 そして議論が終わると、その2時間後にはフランスに向かうのです。

 その前に、主権者・国民のみなさんにこうして報告もせねばなりません。
 すべて自費・自主の出張であっても、それは変えません。

 機械ではなく、にんげんの日程としては、正直申して、むちゃくちゃです。
 むちゃくちゃな強行軍なので、ロンドンのホテルは空港直結のホテルです。

 ところが、部屋に入ると・・・バスタブ、浴槽がありません。つまり風呂がありません。
 海外の安いホテルにある、シャワーしかないというやつです。

▼いったいこのぼく ( わたし、と言うより、ぼくです ) が、どうやって心身のタフネスを維持しているのか。
 人間ドックでの体内年齢が32歳と言っても、その32歳でも、ほんとうは壊れるような日程です。

 これを乗り切るノウハウは、ふだんの日本での厳しい日々とまったく同じ、仮眠のあとの朝に、熱い風呂に全身を浸して、血を駆けめぐらせることなのです。
 体内年齢が若いということは、血管が若いということでもあります。
 したがって、浴槽に入れば、その瞬間から、どんどん血管の中を血が走ってくれて、元気になります。甦ります。

 これはシャワーでは、ぼくの場合、全くと言っていいほど起きません。
 ひとによるのでしょうが、ぼくにはシャワーは効果が無いのです。
 ロンドンは辛い、辛い、現場になりそうです。

 ま、イラク戦争に入ったときは、浴槽どころか、ホテルと言われていったところは実際は瓦礫の山に近かったです。
 ここは、浴室だったらしいところの残骸はありましたが、シャワーもへったくれもありませぬ。水が出ないのですから。
 とにかく平たいところを見つけて横になって、仮眠をとっていたら、米陸軍の戦闘ヘリが凄まじい轟音で現れて、破壊されたベランダ越しに強烈なライトを当てて、いまにも機銃掃射をやりそうになりました。
 ぼくは怒りを込めて、仁王立ちになり、米語で「わたしは光輝ある天皇陛下の臣民である。せっかく寝ているのに、なにをするんだ」と叫びましたが、もちろん轟音に掻き消されます。

 米軍ヘリはしばらくぼくに眩 ( まばゆ ) い光をあててじっとホバリング ( 空中停止 ) し、やがて、腹を見せるように旋回して去っていきました。

 ここは先進国の大都市ロンドンだよ、戦火のバクダッドじゃない。
 熱い風呂に入りたかったなぁ~ん。
 しかし、あのように戦地に居ると思えば、どうにか我慢もできます。
 それしかないよ、わははのは。


 

 

 

 

 

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