中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

福島第一原発の事故は、ただ防潮堤が低かっただけ

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

政府が原発に対して方針を転換し、再稼働の方向に舵を切りましたが、

2011年3月の東日本大震災での事故を通して、原発に対して抵抗が

おありになる方もいらっしゃるでしょう。

 

当ブログではたびたびその問題について、現在は自由民主党参議院議員である

青山繁晴議員がまだ民間のシンクタンクの社長だったとき、原子力等のエネルギー

資源の専門家(当時は専門部会の専門委員)でもあられたので、その青山議員の

お話を記事にしてきました。

 

 

なぜ青山議員のお話しを記事にするかといいますと、まず福島第一原発の事故

後に、民間の専門家として第一原発の構内に入ったのは青山さんただ一人

だったということ(その結果1シーベルト以上被ばくをされたそうです)。

 

その他の原発の専門家たちは皆逃げてしまったこと、そして青山議員は

吉田所長と直接交渉をして、事故直後の原発の壊れた状態をご自身のビデオ

カメラにて映像で記録し、それをマスコミに無償で提供したこと。

 

そのような客観的で公平な、その姿勢を正しいと思い、記事にして

きました。

 

※その時の映像はこちら

 

今回は半年ほど前の講演で、この福島第一原発での経験を話されている動画

をご紹介いたしますが、もう10年以上もこの時の経験を色んな機会にたくさん

話されています。

 

ただ、いまだに福島第一原発事故の真相が、ほとんど国民に知られておらず、

マスコミが流す情報だけを鵜呑みにして判断されては、誤解されたままだと

思いますので、今回もご紹介することにいたします。

 

是非、直接福島第一原発に入り、専門家として見聞きされたそのお話を

聞いてみて下さい。

 

 

 

 

 

※この動画の福島第一原発事故のお話しは1時間32分頃からです。

 

その内容は

 

●政府の節電要請に対して、答えは簡単で「原発を再稼働すればいい」

 

●安全性を高めた原子力発電が眠ったままになっている。

それを再稼働しようとすると、選挙で不利になる、という考えが

政治家の頭にある

 

福島第一原発事故で、放射線障害で亡くなった方は一人も出さなかった。

また放射線障害で治療を受ける人も一人も出さなかった。

しかし、間違った避難指示により、災害関連死が4千人出てしまった。

 

●その教訓を生かして、安全性を高めてきた。

 

●もともと、防潮堤があと数メートル高かったら、あの事故は起きていない。

それを断言できるのは、青山議員ただ一人。

事故後のあの災害が進行中の福島原発の構内に民間専門家として入ったのは、

世界で青山議員だけ。

 

●事故の真相は防潮堤が低かった、防潮堤を高くするのを惜しんだから

事故になった。

東北電力女川原発は若い研究者や社員の意見を入れて少し高くした。

だから女川原発は無事だった。

 

福島第一原発津波による浸水で電源が故障して、燃料棒を冷やせなくなって

溶けただけ。

原子炉は壊れていない。

 

●燃料棒が冷やせなくなってそれが溶けて、その結果下の床を突き破って

下の水に入り、その結果放射性物質の中で一番軽い放射性ヨウ素

放射性セシウムが出て行った。

 

●放射性ヨウ素は8日間で消えてなくなる。

 

●もともと線量が低すぎたので、子供にヨウ素製剤を飲ませなかった。

 

●放射性ヨウ素甲状腺にたまりやすく、溜まってしまうと特に子供は

ガンを引き起こしやすい。

そこに放射性物質を帯びてないヨウ素製剤を事前に飲ませておくと、

甲状腺が一杯になって何も入ってこない。

 

●ではなぜあの時ヨウ素製剤を飲ませなかったか。放射線量が低すぎた

から。

 

●安全性を高くするといっても、要は防潮堤を高くすればいい。

 

女川原発をすぐに再稼働すればいい(令和4年6月12日の時点で)。

 

●そもそも当時の通産省東京電力が結託して、アメリカのGEがつくった

欠陥路を地震国の日本に置いて、業者も日本の事情を知らないアメリカの業者

が、配電盤を地下に置いた。ハリケーン対策で。

アメリカの業者はハリケーンしか体験していないのでわからない

 

●その結果、地下の配電盤が津波で濡れて、燃料棒を冷やせなくなって

地下に溶けて落ちただけ

 

●安全性を高めた原発を再稼働すれば、電力不足はあっという間に解決する

 

 

 

 

 

 

 

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