「若い時の苦労は買ってでもせよ」
などというが
誰も進んで買いたいと思う人など いないだろう
だって みんな 平穏な人生を望んでいるし
楽して 何もかも順調な人生を歩むことができれば
これほど幸せなことはない
実際のところ 環境に恵まれなかったり
不遇な立場や 逆境に身を置かれたり
たくさんの苦労と 辛酸をなめたり
自分の存在を 叩きのめされたりして
それこそ 生き死にの目に遭った人などは
「もう たくさんだよ」と こりごりするだろう
ところが
その苦労した経験を持っていると
いつしか 反対に 「感謝」という思いが強くなってくる
それは
「今の置かれている環境、そして当たり前のように過ごせることが
どんなにか有難いことか」
ということに 気づいていくる
苦労をたくさんして それを乗り越えるために
ひたむきに 努力し続けてきたからこそ
当たり前に生きることができる そのことに 感謝できるようになってくる
これだけでも 苦労をしてきた甲斐があったといえるし
それがひいては
人生における 自分自身の「宝」にもなっている
なぜ宝なのか?
この感謝がわからないと
普段の日常に 不平不満で生きていく人と
同じような境遇でも 感謝の心で 見ることができる人とに
分かれてくる
だから「苦労」は 経験上
できるものなら したくはないのだが
苦労した人だけが 知ることができる 最上の宝を
享受することができる とも言えるのではないか