(熱田神宮)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
または「草薙剣(くさなぎのつるぎ)三回目です。
(以下草薙剣)
(日本武尊)
その後、東国遠征を終えた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、尾張の地に
至ります。またしても荒ぶる神と対決するために伊服岐(いぶき)の山(伊吹
山)に出かけます。その時、日本武尊は一つの大きな間違いを犯します。
それは、日本武尊は素手で戦うつもりで草薙剣を尾張(熱田)の地に置いて
いってしまします。
原文は「一の剣を解き、松の下に置」
日本武尊は剣の霊力に守られなかったためか、苦戦を強いられ、病気に
なってしまい、命を落としてしまします。
日本武尊の妻の美夜受比比売(みやずひめ)の元には草薙剣が残されました。
この時に美夜受比比売が住んでいたところが、以前記事に書きました
「氷上姉子神社」です。
その後、美夜受比比売は尾張国に神社を創建して剣を祀ります。
これが現在の熱田神宮です。
この剣は、その後失われることなく、現在まで大切に奉安されております。
さて、古くから宮中(皇居)にも草薙剣が祀られてきました。宮中の剣は
熱田神宮に祀られる草薙剣の形代(かたしろ・レプリカ)とされています。
この草薙剣は、他の神器と同じく、天皇であっても見ることが許されません。
神器を見た者は必ず死ぬという言い伝えがあります。
なので、剣がどのようなものであるか、全く伝えられていません。