(土用殿。明治前まで草薙剣が奉安されていたお社で、現在は新しくなっています)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回は熱田神宮の記事ですが、あまり知られていないであろう旧参道を
歩きながら、ご紹介してみたいと思います。
なにせ熱田神宮の記事自体は巷に溢れていますので、今回はちょっと趣向を
変えて、普段とは少し違う角度からの熱田神宮とその歴史をば読者の皆様は見て、
感じていただければと思います。
それではいってみましょー('◇')ゞ
まずこちらは熱田神宮の「南門」。
熱田神宮の鳥居は南、西、東とあり三か所から入れます。
地下鉄の出口によってどこが近いかが決まります。
地下鉄の駅は伝馬町が便利で、そこから南門、東門に徒歩で行けれます。
こちらは南門の反対側にあります、鰻のひつまぶしで有名な「蓬莱軒」。
いつも行列ができるお店で、テレビの熱田神宮の特集では、必ずここがセットで
出てきます。
旧参道は、この南門の鳥居をくぐらず、右側に進んでいきますと
さて、これが旧参道です
では入ります
入ってすぐ右側にございますのは
日割御子神社
こちらは名神大社であり、格式高いお社なんですよ。
さらに進みますと、右手に
孫若御子神社
こちらも名神大社です。
どちらも尾張に縁の深い御祭神で、さすがに旧参道なので、このように格式高いお社
が並んでいるわけなんです。
さらにグイッと進みますよ
右手に見えてきました南新宮社で、御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)
さらにグイグイ北へ進みますと、左手に見えてきましたのは
さらにグイグイグイ(⇐もうええやろ)と進みますと(ちなみに少し離れた左側
には、本宮につながって並走している参道がちゃんとあります)
見えてきましたのは熱田神宮文化殿なのですが・・・、ここで行き止まりかと思った
その先には
見えづらいですが、ちゃんと奥に旧参道が続いています
さらにグイグイグイグッ・・(👋ええ加減にしなさいっ!)
写真の左右にある塀は、信長塀と云いまして
織田信長が桶狭間の戦いの前、熱田神宮にて必勝祈願し、無事勝利を収めた
そのお礼に奉納されたもの。
今回、旧参道を紹介しようと思い立ったのも、この信長塀が旧参道側にあった
からでした。
信長の時代は、この旧参道が本来の参道だったので、こちらに信長塀が作られて
いるわけです。
熱田神宮創建1900年の歴史を、こういったもので感じていただけます
でしょうか?
さらに進みますと、手前には神楽殿が。こちらでは祈祷や神楽をするところ
です。
その神楽殿の右端に道が続いていて
二手に分かれた道の左側を進みます。左は神楽殿の建物。
見えてきましたのは
明治以前まで、熱田神宮の草薙剣が奉安されていました「土用殿」
位置としては、神楽殿のちょうど後ろにありますので、明治以前までは現在の
神楽殿の場所あたりに、拝殿・本殿があったと思われます。
このように皆様も一度現在の本宮に続く参道とは別に、旧参道を歩いてみて、
古(いにしえ)の古人たちのその時代・その時代の人達の残っている「氣」を
感じながら、参拝してみるのもまた、楽しいのではないでしょうか?
以上、今回は熱田神宮の知られざる過去(大袈裟か👋)について書いてみました。
※草薙剣については、こちらをご参照ください。
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