中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

硫黄島からの手紙

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

いまから76年前の2月19日から3月26日までの36日間、日本の領土である

硫黄島(正確には「いおうとう」と読む)で、日米の戦いが行われました。

 

(写真はwikipediaよりお借りしました)

 

 

 

アメリカの有名な俳優・監督であるクリントイーストウッドが、日本サイドの

視点で作ったのがこの「硫黄島からの手紙」という作品です。

(後に、アメリカの視点で作った映画が「父親たちの星条旗」)

 

 

この硫黄島の戦いについて、日本国民がほとんど忘れ去っていた内容を

改めて知らしめたものが、皮肉にも対戦国であったアメリカ人が作った

この映画です。

 

 

私は戦争を美化しようとは思ってはいません。

この硫黄島の戦いについて事実をただ記したい、というのが今回の動機です。

 

 

これについて、一番正確に事実を記している書籍として、自由民主党参議院議員

青山繁晴さんの著書「いま救国ー超経済外交の経済力」から、その時の状況を

幾つか抜粋してみましょう。

 

 

P126

硫黄島は、グアムやサイパンといったマリアナ諸島と東京の、ちょうど

中間にある。

米軍は、マリアナ諸島から日本全土を爆撃する中継地にすると決めた。

硫黄島を活用すれば、より多くの爆弾で、より多くの日本の民間人を

殺せる。

だから米軍は、硫黄島の攻防戦の真っ最中に、野に斃(たお)れた日本兵

の亡骸、あるいは地下壕に立て籠もる生きた日本兵の上にそのままコンクリ

ートを流し込んで滑走路を造った。一日も早く、爆撃機の離着陸を始める

ためである」

 

栗林忠道(くりばやしただみち)中将の率いる日本軍は、全長18キロ

もの地下壕を、狭い島に張り巡らせた。

米軍はブルドーザーで壕を潰し、隙間から火炎を吹き込んで日本兵

焼き尽くした。その壕を掘り起こすことはしないまま、戦後日本の自衛隊機、

海上保安庁機が離着陸してきたのである」

 

「わたし(青山さん)は壕を這いつくばって進み、火炎放射器に黒く焼かれた

地中の天井を触り、遺された兵の地下足袋や無線機を調べながら、硫黄島の真実

を『戦争は悲惨だ』『平和は尊い』と語るだけでは足りないのだと、それが

胸に迫った」

 

「平和を語るだけなら、戦後の日本も続けてきた。

島の日本兵は、大半がサラリーマンやタバコ屋さんといった、ふつうの

日本国民だ。それが何のために、逃れようのない死を知りつつ土中で

戦ったか。

自分のために戦った兵は一人もいない。

『本土空襲を一日でも遅らせたい』、その一心であったから、指揮官の

栗林中将は、自決もバンザイ突撃も禁じ、5日で終わるとされた戦いを

36日間ももちこたえて全滅した。

それは『本土で空襲を逃れて生き延びる日本国民が、その子々孫々と

ともに新しい日本を造ってくれる』という祈りでもあった」

 

 

 

 

2月19日には、硫黄島の戦いで戦士された英霊の方々に、今一度

感謝を捧げ、安らかに眠られるよう一国民として祈りを捧げたいと

思います。