みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回ご紹介する神社は「山那神社(旧南山名村)」です。
参拝日時 令和2年11月21日
愛知県丹羽郡扶桑町南山名森58
御祭神
八野若比売命(やなわかひめのみこと・素盞鳴命の娘で大国主命の妃にあたる)
一礼 お邪魔致します
紅葉が始まっていました(去年の秋頃の参拝でした)
左手にありますは「黒龍大神」です4
抜けるような青空と、太陽の光、緑の葉に紅葉、そしてお社。
良き日の参拝と相成りました(´▽`)
郷社 山那神社
祭神 八野若比売命 日本武尊
当神社は延喜式神名帳に山那神社 本国帳に従三位山名天神と之れ有り
八野若比売命は素盞鳴命の御女にましまして大国主命の御妃になり当地方開拓の御祖神なり 日本武尊は稍後代の合祀にまします由相傳う
明治三年 社號を天神社と改む
明治六年三月 郷社に列せらる
明治三十五年三月 延喜の旧號山那神社に復す
一八幡社 祭神 神功皇后 應神天皇 玉依姫命
一八幡社 祭神 仲哀天皇 明治四十三年三月合祀
一大明神社 祭神 素盞鳴命 大正九年十二月合祀
昭和九年十月十五日」
尾北地方の神社の境内には山神が祀られているところが多くみられる。
近くにあるもう一つの山那神社にも、それぞれ本殿の傍ら近くの杜の中に、
素朴な丸い川石に山神と刻まれて祀られている。
古代の人々は春になると、農作物の方策を祈るため、近くの山から山神を集落の
里宮へ田の神として迎えて、収穫を終えた秋にはまた濃厚儀礼の慣わしがあった、
という説がある。
この地方では樹木に覆われた土地をふつう山と呼んでいる。この山は往古、
木曽川の流れによって造られたものともいわれ、古代の人々はこの山の神の
宿るところと信じていて、山神を祀ったのではないかとする説がある。
御本殿
外に立ててあった、年間行事の看板
こちらの山那神社は、すぐ近くの北方にもう一つ同名の「山那神社」があり、
それぞれ南山名村と北山名村と呼ばれていました。
江戸時代に南北に分かれたそうです。
今回は南側の「山那神社」となりますが、格式は旧郷社なので、規模も大きく、
境内も広い堂々たる神社となっております。
なお専用駐車場はありませんでしたので、神社のすぐ近くに車を停めての参拝
となりました。
今夏は2度目の訪問でしたが、天気がよく快晴でしたのでテンションは上がり、
しかも紅葉も見れてとても楽しい参拝となりました。
次回は旧北山名村の方の「山那神社」を訪ねます。