中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

「ブッタの真理のことば」より学ぶ ④

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は「ブッタの真理のことば」中村元訳より一節取り上げてみましょう。

 

 

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「愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現れないあいだは、それ

を密のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を

受ける」

 

71

「悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに

固まることはない(徐々に固まって熟する)。

その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、

愚者につきまとう」

 

 

 

〇ノ丞:日頃ちょっとしたことで「これぐらいは大丈夫だろう・・・」

とか「シマッタ・・・」というように、間違いや失敗をしてしまいます。

それは心の中も同じように、怒ったり愚痴ったり、悪口を言ったり

・・・日々ありますよね。

でも、結局それらも同じようにその報いを受けるんですよね。

ただ、その現れるのがすぐではなくて、ある日突然きたりしますので、

わかりにくいのですが・・・

 

因果応報

 

やはり、見つからないだろう、と思っていても、何らかの形でしっぺ返し

が来る・・・

ブッタはそのことを言われているのではないか、とそう思います。

 

気を付けなければ・・・(`・ω・´)

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇 ③

 

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の3回目です。

 

 

 <前回の続きから> 

おまつりを終えられた一行はまた北へすすみ、美々津(みみつ)につきました。

いよいよ美々津港から船団を仕立てての遠征です。

 

 

美々津港にそそぐ美々津川の河口のあたりは、みごとに出来上がった船がつながれ

並んで、伊波礼比古命(いわれびこのみこと・神武天皇)、五瀬命(いつせのみこと

・兄)の一行をまっていました。音もの人々も出発を今日か明日かとまっています。

 

日向幸脇(さちわき)の遠見(とおみ)では、お船出によいころあいをはかるために、

凧がいくつも空におよいで風のむきをはかっていました。

美々津港についた一行は、あちこちにたむろして船出のときをまちました。

港の岸のそばの岩に、伊波礼比古命も腰をおろされ船出をまたれました。

今もその「神武天皇御腰掛け岩」は立磐神社(たていわじんじゃ)にのこっています。

 

美々津の人々は船出する人々に、あんこ入りのおいしいだんごをついてさしあげよう

と、どこの家でも小豆を水につけて用意していました。

 

「起きよ、起きよ!」

 

と家々の戸を割れるほど叩いて、起こしてまわる人々がかけまわりました。

遠見の凧が、船出にいちばんよい風向きをおしえたので、急に船出がきまった

というのです。

 

あんこ入りだんごをつくろうとしていた人達は、あわてました。

 

人々は、臼の中に小豆のあんもいっしょにほうりこんで、「搗入(つきれ)

だんご」をつくって、ようやく船出に間に合わせ、さしあげることができ

ました。

今もこれは「お船出だんご」「搗入れだんご」として美々津として地方に

伝わっています。

また、美々津川の右岸にある立磐神社では「起きよ祭り」が今もおこなわれて

います。

陰暦八月一日の夜、子どもたちが竹ざさに短冊をつけたのをもって、家々の

戸を「起きよ、起きよ」と叩いてまわるのです。

 

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

●参考までに「立磐神社」公式HPを載せておきます。 よろしければご覧ください。

           ☟

 

www.tateiwajinja.jp

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

 

中国憲法「香港に適用」、司法相、抑圧強化を示唆 (産経新聞記事より)

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

中国の香港に対する抑圧をさらに強化していく、という産経新聞からの記事です。 

 

 

【北京=西見由章】中国が「憲法の日」と定める4日、唐一軍・司法相は会見で「香港は中華人民共和国の不可分の一部であり、中国の憲法は当然、香港に適用される」と述べた。6月末に施行された香港国家安全維持法(国安法)に国際社会から批判が続く中で、同法が中国憲法の規定に基づくものだと正当性を強調した形だ。

 中国の司法トップ層が「憲法適用」に踏み込んで言明することで、香港司法制度のさらなる「中国化」と、抑圧の強化を示唆した。憲法を今後、香港でどのように運用していくかなど、具体的な方針については言及しなかった。

 1997年に英国から返還された香港の主権は中国にあり、「香港特別行政区」の設置は憲法に基づく。ただ、中国憲法社会主義を根本的な制度と規定し、中国共産党の指導的立場を明記して三権分立を否定している。このため「一国二制度」が保障された香港で中国憲法がどの範囲まで効力をもつか、中国側はこれまで、あいまいにしてきた。

 香港の林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官は4日、香港特別行政区が中国憲法の第31条を根拠に設立されたと述べた上で、「(香港)社会は(中国)憲法と香港基本法について認識が不足している」と指摘し、唐氏の発言に同調してみせた。

 また林鄭氏は、国安法について「香港の高度な自治を破壊すると誤って形容された」とも述べ、国安法に反対する民主派や海外勢力を暗に批判した。

 国安法施行後、民主派の活動が大幅に制限されており、香港の裁判所は20代の民主活動家に禁錮刑を科した。また、共産党政権に批判的な論調で知られるメディアの創業者が拘束された。

 

 

〇ノ丞解説:そもそも中国には議会と言われるものはありません。

全人代全国人民代表大会)は日本の国会みたいなもの」と言っている識者が

いますが、中国という国は数千年間、一度たりとも「選挙」というものが行われた

ことがありません。

当然、「民主主義」とは無縁の考えを持った政府が人権など考慮するわけ

もなく、それが今「香港」の締め上げと抑圧として現実のものとなっているの

です。

そこには公平・公正などというものもない。

 

中国という国を理解せず、「チャイナマネー」ばかりに目を奪われていると、

身を危うくします。

 

さて現時点で、コロナウィルスの第三波が来ているにもかかわらず、中国人だけ

日本に入国可能という・・・

しかも知らないうちに誰が許可したんだろう・・・

 

日本にはそのうち移民法ができて大量の中国人移民がきて、外国人参政権

通されて、結果として中国人寄りの国会議員ができる・・・そしていずれ

香港のように中国の属国になるのではないか、と日本の将来を心配する人も

います。

 

そのようにならないよう、主権者である日本国民はきちんと国会議員達を

チェックして「安心・安全」な国になるよう、自分のこととしてこの国の

行く末を考えなければならないのでは、と香港問題を見てそう思います。

 

 

尾張式内社を訪ねて 70 石刀神社 (一宮・馬寄)

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「石刀神社(いわとじんじゃ)」(一宮・馬寄)です。

(今回は超大作となり長くなります)

 

 愛知県一宮市今伊勢町馬寄石刀

 

御祭神

手力雄尊(たぢからをのみこと)

 国常立尊(くにのとこたちのかみ) 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
国狹槌尊(くにのさつちのみこと)

 

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こちらは第二鳥居前

 

後で詳細を書きますが、境内一の鳥居近くに龍神池があります(第一鳥居近くに

龍神社のお社があります)。この池に「石刀龍神様」の伝説があるそうです。

そして、ここら一帯はは昔(太古)は河というか、大きな池があったり、

沼地のような感じだったというのを、ここの宮司さんから聞きました。

また、昔は神社周辺の道路が実際は堀だったのだ、とか。

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当社の祭神は手力雄尊(たぢからをのみこと)ですが、この辺りは今伊勢町という名が示して

いるように昔は伊勢の神宮領地だったところで、天照大神の天の岩戸神話にあるように、この手力雄命天照大神縁が深く、そういう成り行きで御祭神が手力雄命になったのでは、という説を宮司さんは仰っていました。

ちなみに、伊勢の神宮内宮の御垣内には手力雄命も一緒に祀られています。

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神橋

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大木の根っこに神馬像。神馬には葵の御紋が見えます。

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手水舎

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水が勢いよく流されていました。さすが旧県社です。

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ご覧の通り、拝殿まで狛犬がズラリ4組も並びます。

 

創祀は崇神天皇の御代と伝えられており、石刀古墳の上に御鎮座されています。

現在地の西方に拝殿、神楽殿と称する地名があり、旧社地と思われます。

本殿は西向きに建てられていますが、旧社地を望んで建てられたものと考えられます。

石刀』を『イワト』と読むのは、古事記にみえる天の岩戸の条の古事によるもの

とも言われております。『石』を『イワ』と読む古い時代から斎祀されていた

ものと思われます。

 

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年代別なのか、形がそれぞれ違いますね

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ご神木

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神社の歴史では関ヶ原の合戦の際、福島正則の軍(徳川方)が当社に駐屯した。

その後の徳川軍の勝利により、葵の御紋がこの石刀神社では使われています。

こちらの宮司さんによれば、その頃に葵の御紋の使用を許されるというのはかなり

レアなケースではあったが、まだ徳川の名が知られていない時期で、ある意味徳川という名を広めるための広告塔的な役割もあったのではないか、と推論されていた。

いずれにせよ、徳川家とは縁の深い神社です。

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かなり昔には、違う場所に元宮があって、そこから現在の地に移転してきたという。

つまり元宮は中島郡四条の位置にあり、この四条は今伊勢町本神戸のあたりから、宮後、小信中島を経て、羽島市狐穴に至る地域と推定され、このライン上のどこかに石刀社はあった

と思われます。

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祭礼用の山車

宮司さんによれば、山車がでるような神社は、それだけ神社の力の象徴である、

というようなお話しをされていました。

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稲荷社

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本殿の様子

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他に境内社龍神社(第一鳥居前)と稲荷社、御霊神社の他に天照大神、豊宇気毘賣神、軻遇突智神、大鷦鷯尊、中筒男命事代主命伊弉冉尊菊理媛命大己貴命の9神が合祀されています。

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この日は日本晴れでした

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*1

今回、出掛ける前にまたふと気になったのが、この石刀神社でした。

いつもの通り、まず参拝を終えて社殿の周りを周りながら写真を撮って

いると、参集殿で戸を開けて、掃除をされておられる方があったので、

近づいて行って「御朱印はありますか?」といつもの調子でお尋ねした

ところ「はい」と返事をされたので、授与所にて御朱印を頂きました。

 

私はてっきり氏子総代さんかなと思って、神社のいわれや歴史等の話しを

訊いていたのですが、どうもかなりの知識がおありだとお見受けしました

ので、

「氏子総代さんですか?」と訊いてみたところ「ここの宮司です」と

仰ってビックリ( ;∀;)

「普段はなかなか居ないんだよ」と宮司さん。

 
しかも、神職の一級の方で、熱田神宮宮司さんであられる小串宮司

と同期だそうな。

 

「なるほど、これが虫の知らせというのかな」と一瞬思いつつも、それ

から小一時間余り、この今伊勢町の歴史のことや神社の変遷、また皇學館

の学生の時の話など、普段は聞くことのできないお話しをたくさん聞く

ことができたのでした。

 

もちろん、私も尾張式内社123社余りを全て周り、現在ブログにアップ

するために2巡目に入っていますので、こちらもそれなりの経験と知識は

持ち合わせており、神職さんしか知らないような内容のこともお話ししたり

しますので、石刀神社宮司さんもかなり深いところまでお話しして下さい

ました。

 

尾張式内社といっても、神職さんが常駐しているのは四分の一もないくらい

ですので、日頃式内社をまわっても宮司さんに会ってお話しできるなんて

ほとんどありません。しかも一級の資格を持つ宮司さんと直に話せる機会な

んてゼロに近いです。

 

ということで、今回は日も良く、とても有意義な時間を過ごすことができました。

 

なお、駐車場は境内に案内があったので、境内に停めての参拝となりました。

 

 

 

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*1:参拝後記

松下幸之助 「道をひらく」 2 『さまざま』

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は久しぶりに松下幸之助さんの

「道をひらく」

から学んでみたいと思います。

 

 

『さまざま』

「春が来て花が咲いて、初夏が来て若葉が萌えて、野山はまさに華麗な装

(よそお)いである。さまざまの花が咲き、さまざまの鳥が舞う。さまざま、

とりどりなればこそのこの華麗さである。

 

~中略~

 

いろいろな花があってよかった。さまざまな木はあってよかった。

たくさんの鳥があってよかった。自然の理のありがたさである。

人もまたさまざま。

さまざまな人があればこそ、ゆたかな働きも生まれ出されてくる。

自分と他人とは、顔も違えば気性も違う。好みも違う。

それでよいのである。

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を

感じたい。

無限の豊かさを感じたい。

そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。

いろいろな人があってよかった。さまざまな人があってよかった」

 

 

 

〇ノ丞松下電器の社長だった松下幸之助さん。

人の上に立つ人がこういった考えを持っていたなら、下で働く従業員はのびのび

とやれそうですね・・・

ところがどっこい、なかなかこのような信念に辿り着くことは至難の業・・・

 

現実はそれぞれが人の失敗や欠点に意識が向いてしまい、それぞれが「あの人

さえいなかったら・・・もっと会社は良くなるのに・・・」とか

「この会社がダメなのは社長がダメだからだ・・・」

という所が多いのではないでしょうか。

 

確かにその通りかもしれませんが、周りの欠点をあげつらったところで、事態は

変わらない事の方が多い。

 

それより、周りの人達の得意なところを見つけて、それを上手く使っていく

方が、会社の雰囲気も良くなるのではないかと思います。

ただ、ほんとたしかに、同じ人っていないもんですよねぇ・・・

同じ顔も一人としていない・・・

不思議といえば不思議なもんですね(*_*)

 

そして、そのうえで

 

仲良くするとは依存関係になるのではなくて

『自分はたとえ一人でも、この困難を乗り越えていく』

という人達の集団になったとしたら、その会社はもっと伸びていくだろうとも

思うのです。

 

 

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(※Amazonでは、上記の写真の白い表紙のバージョンは、まだ

販売していないようです。令和2年12月2日現在) 

 

 

 

城所ケイジさんの龍神像  14

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回も元チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジさんのブログから

の転載です。(2013年の記事から)

 

 

 

龍王プロジェクト 2012後半の作品写真です。

2013年01月28日 | 最新作品紹介
遅くなりましたが、2012年後半の龍神様作品などをアップします。

 
 
 
 
 
〇ノ丞:凄いの一言ですね・・・
2011年3月11日に発生した東日本大震災を契機に、城所さんは
東北地方のお寺に「龍王プロジェクト」と題して鎮魂のためにいくつか
龍神像を彫られました。
上記の写真はその中の一部です。

 

 

 

 

「時代は変わってしまった」香港民主派なすすべなく 運動抑え込まれ 周庭氏ら収監 (毎日新聞記事より)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

香港民主の女神「周庭」さんに実刑判決が下った、というニュース記事です。

 

 

香港の民主活動家、周庭氏(左)と黄之鋒氏=香港で2019年8月、福岡静哉撮影

 周氏や黄氏ら海外でも著名な香港の民主活動家が実刑判決を受けて収監されたことで、国際社会では中国政府や香港政府に対する批判が強まりそうだ。ただ、香港では容疑者を中国当局に引き渡すことも可能な「国家安全維持法(国安法)」の威力は絶大で、施行から5カ月が過ぎたが、抗議デモがほぼ抑え込まれているなど、香港の民主派はなすすべがない状況だ。

 「重すぎる判決だ」「時代は変わってしまった」。香港のインターネット掲示板などでは2日、量刑を批判する書き込みが相次いだ。周氏はこれまで「前科」がなく、執行猶予がつかなかったことに市民の間では衝撃が走った。「司法の判断が従来より厳しくなっている」(2019年のデモに参加した若者)との見方が広がっている。

 黄氏が17年に違法集会に参加した罪などで実刑判決を受けて収監された際は、判決に反発する抗議デモが起きた。だが、この日は目立った抗議活動はなかった。国安法による取り締まりへの恐怖心から、デモや集会をする市民がほとんどいなくなっているためだ。同法による逮捕者は、既に30人近くにのぼる。

 

 

〇ノ丞解説:中国政府の香港に対する政策は、香港議会に年数をかけて「親中派議員」を送り込んで多数を握り、「国家安全維持法」などの法律を制定。

今回のように「法律」を使って見事にデモを鎮圧していきます。

文字通り「反抗する奴は片っ端から牢屋に入れる」です・・・

 

 

 周氏や黄氏らは、国安法施行後も「香港情勢に関心を持ってほしい」と国際社会に呼びかけてきた。だが、収監されたことでこうした活動も当分できない。

 民主派にとって抵抗の拠点だった立法会(定数70、欠員27)も「陥落」した。香港政府は11月、政府への「忠誠」を規定した香港基本法を逸脱する行為があったとして、民主派4議員の資格を剥奪。これに抗議して民主派15人がこれまでに辞任した。立法会の43人のうち親中派は41人となった。

 

〇ノ丞解説:この動きに対して、「ファイブアイズ」の五ヵ国アメリカ・カナダ・

ニュージーランド・イギリス・オーストラリアはこの国家安全維持法に対して

対抗措置をとってきたが、日本は依然沈黙・・・

若しくは、いつもの「遺憾(いかん)」砲・・・

国会で取り上げられもしない・・・

 

 

 立法会選は21年9月に予定されるが、香港政府は抵抗する民主派候補の出馬を認めない方針だ。

 一方、香港での活動をあきらめ、海外へ逃れようとする若者もいる。国安法や暴動容疑などで逮捕された後、保釈された若者ら12人が8月に香港から台湾への密航を計画。モーターボートで約300キロ離れた台湾の離島を目指したが、海上で中国広東省の海警局に不法越境の疑いで逮捕された。

 11月には、台湾へ逃れた別の若者らを支援したとして、男女3人が国安法違反容疑で逮捕された。当局は支援者も含め徹底して民主派を取り締まり、抗議活動再燃の芽を摘み取る構えだ。【台北・福岡静哉】

 

 

〇ノ丞解説:香港の次は台湾だと言われています。

今は「対岸の火」の状態かもしれませんが、実際には日本にも周辺諸国の工作活動

はすでに行われており、それはネットの世界やマスコミ界、経済界に法律の世界

など多岐に渡ります。

地元の政治家がちゃんと日本のために活動しているのか、はたまた周辺諸国のため

に働いているのか、それを国民は見極めていかないと、いつの間にか

「中国の属国」

になってしまうかも・・・