中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

応援しよう 国産マスク! マスク不足で生産参入→「赤字」「突然のハシゴ外し」も・・・J-CASTニュースより

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

とても「胸アツ」な記事がありましたのでご紹介いたします。

 

純国産にこだわったマスクを作っているメーカー「ショウワ」を皆さんで

応援しませんか?

以下記事を抜粋いたします。

 

 

 

以下J-CASTニュースより~

新型コロナウイルス禍で国内が深刻なマスク不足に陥った際、異業種からマスク業界に新規参入した企業が今や「赤字8000万」だとツイッター上で拡散され、「応援したくなる」などと話題となっている。

注目されているのは、国産マスクを販売する業務用洗浄機メーカーのショウワ(兵庫県尼崎市)だ。

 

■「国内で生産ラインを作るという心意気」

今回ショウワが注目されるきっかけとなったのは、声優の磯村知美さんが2021年8月18日、「マスク不足の時にマスク製造を始めて下さったShowaさん」と紹介したツイート。

同じ投稿では、「8000万の赤字と先ほどのツイートで知り、心ばかりですが支援の為に購入させて頂きました。国産の生産ラインは大切だと思うので皆さんも余裕があれば是非」ともつづった。

元を辿ると、テレ東BIZが5月17日に公開した記事「増産のかけ声はどこへ... 国内マスクメーカーに変化」で、大量の在庫を抱えるメーカーとしてショウワが取り上げられていた。

磯村さんの投稿は5万1000件以上のリツイート、7万8000件超の「いいね」が寄せられるなど大きな話題となり、ツイッターでは、「国内で生産ラインを作るという心意気。それだけで応援したくなる」「値段は高いけど買い支えなければと思う」といった反応が寄せられている。

なおショウワのマスクはAmazonやBaseなど通販でも手に入れることが出来る。基本商品の「3層仕様サージカルマスク(30枚入り)」は税込み2200円。

国内のマスク不足が解消された今、メーカーはどうなっているのか。J-CASTニュースはショウワに取材した。

■100%国産マスク生産の「社会的使命」

19日にJ-CASTニュースの取材に応じたショウワ営業部・担当者は、国産品を喜ぶようなツイッター上の反応を受けて、「私たちもそれは絶対に守るべきだなと思っている」と国産品の製造に決意を表した。

マスクの生産を始めたのは2020年4月。当初は国内の素材が手に入らなかったことから中国産の不織布を使っていた時期もあった。しかし現在の生産体制は、「国内の工場で作っている、検品も国内でやってる、素材も国産品を使う」「100パーセント・メイドインジャパン」と強調。

綿密な計画や収支の見通しを持って始めた事業ではないとして、担当者は参入の理由を「(深刻なマスク不足の状況を)どうにかしなきゃなっていうただそれだけです」と振り返る。

さらに具体的に、「うちの社長が東日本大震災のときにほぼ何も、東北に対して何らかの支援を出来なかったっていうのがずっと忸怩たる思いとして残っていた」という。マスク生産を事業の柱にしようとしたわけではなく、

「社会的な使命としてこれやっとくべきやなと」
「綺麗事みたいですけど、本当に(社会貢献が)大事だった」

と、思いを明かす。設備投資分が回収できれば後は細々と生産、コロナ禍の収束にあわせ2、3年でマスク事業を畳む心積もりでいたという。しかし感染状況が落ち着かず、今後数年間は生産を続けるつもりだとする。

一方で担当者は、ツイッター上で注目されている「赤字8000万」の表現にはひとり歩きしている部分があるとした。財務諸表上のものではなく「強気」で設定された社内目標上の数字だという。1億8000万だという設備投資分のうち、社内で掲げた短期間で回収しきれなかった分が8000万円だったとしている。実際の決算は大赤字ではないものの、「赤字は赤字です」と伝えた。

■受託製造の苦難「突然ハシゴを外され」

参入当初は伸び悩むも、20年8月に大手メーカーの受託製造(OEM)が始まると急激に売り上げが伸びた。

30万枚だった請負が、220万枚ほどまで膨らんだ。「機械を自動化する、もしくは機械をもう1台購入する。そうしないと追いつかないような状況だった」として、更なる設備投資と自動化を進めたという。

21年2月には、「大手メーカーが突然ハシゴを外した」。

設備の増強について振り返り、

「もちろんこちらが勝手にやったことなんですけれども、あくまでも先方の数を満たすためにはそうせざるを得なかった」

と話す。自社の対応を「懲罰も含めた業務契約を取り交わせなかった」「口頭でそのまま突っ走ってしまった」と反省しつつ、「未だに私は個人的に先方の担当者とは駆け引きし続けている」とも言う。

■ノウハウ活かした機体「魔改造

そういった状況もあるなか、一番苦労したのは生産機体。最初に4500万で買った中国製の機体が国内の要求を満たす水準に達せず、韓国から1機、中国から別の2機を買い足した。元々は洗浄機の開発をしているショウワ、「機械作りはプロ」と担当者は話す。購入した機体に手を加えた。

「韓国のは少々の手直しなんですけど、中国産に関しては、ほぼ原型留めてないです。『魔改造』です。ほぼほぼうちの製品ですと言っても通用するくらい」

さらに既製品の改造で培ったノウハウを活かして自社製の機体も1から作り上げたという。

なお主力の洗浄機事業はコロナ禍の煽りを大きく受けているという。外食産業ではコストの削減から導入が足踏みされ、他の業界でも物流減少の影響で受注取り消しなどがある。担当者は「洗浄の分野っていうのは、コロナでなかなか厳しいところがある」と打ち明ける。

■目標はリピーターの確保

マスク事業の参入は結果的に会社の宣伝になったとして、「広い目で見て、社会的に頑張ってんねんなこの会社っていう風に言っていただくのは、凄く嬉しいですね。それは本当に。もう理屈抜きで」と担当者は喜んでいた。

しかし現状は、「今回のようにツイッターでバズれば売れるんですけど、どうしても(海外製マスクに)価格競争力で勝てない。作るはいいけど、買い手がいない状況」。

今後について「BtoCの安定供給ができるっていうのが我々の1番の目標」と顧客の定着を狙っているとしつつ、

「もちろん民間企業なんで、儲けを出すっていうのは必要なんですけども、それ以上に、国産の高品質のマスクを作ってる会社がまだあるよっていうのを訴えていきたいと思っています」

と訴えた。

(2021年8月21日11時追記)記事の一部を修正しました。

 

 

 

〇ノ丞解説

メイドインジャパンにこだわったがゆえに、価格が高くなってしまった

●大手メーカーから突然ハシゴを外された

●自社のノウハウで、使えない機械を改善をした

 

どれも日本の中小企業ではよくある話しですよね。

 

製造業では、現在サプライチェーンが進み、国内の生産をできるだけ抑え、海外で

製造することで人件費を抑えて、その分利益を確保するというのが常道でした。

 

しかし今回のコロナ禍によって、中国に依存していた企業は部品が調達しに

くくなり、国内の組み立てに大変な支障をきたすこととなり、経済に大きな

ダメージを与えています。

 

また、今までは中国は「世界の工場」として、安い人件費を盾に海外の投資

を呼び込み、先進国がこぞって中国に工場をつくり、そこで作ったものを国内

で売るということをしてきましたが、現在では中国の人件費も高騰しており、

以前のような安い人件費は期待しずらくなっております。

 

 

現在の日本の政府の方針として、国内の企業同士をやたらと合体させて大きく

しようとさせたがっていますが、そもそも日本の強味というのは、まさに

「中小企業のもつ技術」であるので、やたらと合体させて大きくしても、強くは

ならない。

このショウワのように、日本に数多くある中小企業こそが、日本の経済を実は

技術で支えているのです。

 

また遅れている半導体産業なども、日本はこれからますます力を入れていかなけ

れば、今回のコロナ禍で経験した「半導体不足」によって、国内の生産が止まって

しまうという教訓を生かすことができなくなるでしょう。

 

そういった意味でも、この「ショウワ」の心意気に、熱い声援を送ってほしいと

切に願っています。

 

 

※ちなみに、現在はSNSの発信によってショウワのマスクの注文が殺到して

おり、Amazonでも入荷待ちとなっております。

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑳

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の20回目です。

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

 古事記

《忍坂(おしさか)の大室に至りたまふ時に、尾生(お)ふる土雲(つちぐも)

の八十建(やそたける)其の室に在り、待ちいなる》

 

宇陀から奈良盆地に進軍したイハレビコ(神武天皇)。

この忍坂は現在の奈良県桜井市忍坂。

尾生ふるとは、吉野河でイハレビコに恭順した石押分之子(いはおしわくのこ)

に使われていた表現。

土雲とは長く胴体の短い穴居生活者を指し、大和政権に従わない先住民

に対する蔑称です。

 

新たに現れた地元の抵抗勢力に対して、古事記では

《饗(あへ)を八十建に賜ふ。是に八十建に宛て、八十膳夫(やそかしはて)

を設け、人毎(ごと)に刀を佩(は)け、其の膳夫等に誨(おし)へ曰(の)り

たまはく、「歌うを聞かば、一時共(もろとも)に斬斬れ》

 

と、土雲たちを饗応し、その一人一人に太刀を身につけた給仕夫を付け、歌を

合図に斬りかからせます。

 

古事記

《一時に打ち殺しつ》

 

イハレビコ忍坂を平定しました。

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

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いまさら「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の音楽を語る

 風の谷のナウシカ

(出典:スタジオジブリ © 1984 Studio Ghibli・H)

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

さ~て夏といえばジブリ!」 とイメージされる方も結構多いのでは

ないでしょうか?(今ではすっかり定着化されている感があります)

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」の音楽について語ってみます。

(約一年程前の記事を加筆いたしました)

 

 

とはいえ・・・

 

『この「風の谷のナウシカ」を語らしたらまけへん

でぇっ!!』<(`^´)>

(関西以外の地域の方は、それぞれの方言に変換して言ってみて下さい)

 

という方が星の数ほどみえるかと想いますが・・・

 

まあ・・・ それはそれとして、今回は語り尽された感のある

風の谷のナウシカ

についてを、さらに少々深彫ってみます。

 

では、まずはこちらの音源をお聴きください。

 

こちらは、「Synphonic poem ”NAUCIKAA”」

のバージョンですね。

 

こちらは他にあります有名な武道館のバージョンと違い、オーケストラの編成も

小さく、少年少女合唱団もないせいか、過剰な演出というものがなくて、久石さん

流のオーケストレーションをよく聴くことができて、違う意味で新鮮ですね。

 

この曲の最初の出だしのティンパニの連打の音を聴くと、この映画の始まりも

さることながら

スタジオジブリの幕開けじゃー」という感じがするんです

よね。

いよいよこれから、宮崎駿監督と久石譲さんとの闘い(いい意味で)が始まる、

みたいな。

 

こうして改めて聴き直してみますと、宮崎駿監督の画に負けてないですよね、

久石譲さんの音楽って。

世界最高と言っても過言ではないアニメーションの技術をもつ宮崎駿監督の迫力

ある映像に対して、がっぷり四つで組んでいる。

 

高畑勲さんは、かつて「久石さんの音楽は無邪気なところがあるから、宮崎駿さんと

合う」的なことを仰ってましたっけ・・・。 

 

ナウシカは映画初公開以来今年で35年くらい経つわけですが、映画や

武道館コンサートなどにしろ日本や世界中に、そのアニメ・ナウシカ

イメージが広がり、そして少なからずそれを観たり聞いたりした人々の

精神や思考にも影響を与えているでしょう。

 

最初は宮崎駿監督一人の頭の中にいたナウシカが、こうして世界中の人の

ナウシカを想う想念・エネルギーが集合すると、実際にナウシカという人物

のエネルギーが結晶化して生まれてしまうのでは、とまで思ってしまいます。

 

何もなかったところに、多くの人の念のエネルギーが一つになると、そこに

いつしかナウシカという一つの想念による集合体が作りだされててしまう、

みたいな。

 

特に「ナウシカレクイエム」なんて聴くと、聴いた人達の意識はアニメの

ナウシカ」を想う。実在する人物でもないのにね・・・。

 

この空想・・・ていうのがいいんですかね('ω')

空想のナウシカに想いを投入してしまう・・・

世界レベルの映像と音楽が組み合わさると、人間の意識まで変えてしまう。

 

 

 

さて余談ですが、個人的にはこのナウシカの「風の伝説」も好きなのですが、

天空の城ラピュタ」の音楽も好きなんですが、なんか久石さん、なかなか

やってくれないんですよね。

 

YOU TUBEで探しても出てくるのは、いつも「パズーが吹くトランペットの曲

(スラッグ渓谷の朝)」か合唱の「君をのせて」ばかり・・・

 

パズーのトランペットのメロディーって、そんなに繰り返してまで聴きたいと

思わないんだけど・・・

ラピュタの音楽って他に良いのたくさんあるので、そっちの方が聴きたいのにな

・・・

生演奏でね。

 

特に、冒頭のシータがゴリアテから落ちてからのメインテーマ「空から降ってきた

少女」と、パズーとシータがラピュタに初めて上陸して探索に出るところの音楽とか・・・

 

 

 

と、ところが・・・

 

 

 

※なんと、記事を書いたのが2日前でしたが、いくら探しても出てこなかった

曲を、香港で久石さんが演奏されていました。

 

 ありました(≧◇≦)出てきましたよ!

天空の城ラピュタ」の聴きたかった音源が(^_-)-☆ヤッター

 

さらに、この記事を書いてから最近見つかったのが「交響組曲天空の城ラピュタ

              ☟

 

聴いていると、映画の「あっ!あの場面・この場面」と映像が自然と浮かんで

きます。

映画の サウンドトラックでは、それぞれの曲に題名がきちんとついているのですが、

それらを一つの組曲として繋げています。

 

 最後のあたりにくると、感動しますよ(∩´∀`)∩

 

 こういった久石さんの音楽でジブリワールドにじっくり浸るのも、また幸せな

ひとときですよね(^^♪

 

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」と一部「天空の城ラピュタ

を勝手に語ってみました。

 

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑱

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の18回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

吉野地方を帰順さんせたイハレビコは、山道を北上し宇陀(奈良県宇陀市

に至ります。

その地には兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)がいました。

 

古事記

八咫烏を遣はして、二人を問ひて曰く

「今、天つ神の御子、幸行でませり。汝等仕え奉らむや」

 

それに対し、エウカシは八咫烏に鳴鏑 (なりかぶら・音のなる矢)

を射るなど反抗的な行動に出ます。

 

一方オトウカシはイハレビコの元に参上し、

「兄エウカシは氾濫の軍勢を集めたが、うまくいかなかったため謀略を

企んでいる」

 

そして

「殿を作り、其の殿の内に押機(おし)を張りて、待ち取らむとす(大きな

建物を作って押機を仕掛け、御子を殺そうとしています」

 

この押機とは、人が入ると天井が落下し、圧死させる仕掛けというもの。

 

 

さて、宇陀市にあります桜実神社には、イハレビコが陣を張った際に

植えたといわれる「八つ房杉」があります。

 

 桜実神社の八ツ房杉

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(上の写真は「巨樹と花のページ 」よりお借りしました)

イメージ:桜実神社

(こちらの写真は「宇陀市観光協会情報サイト」よりお借りしました)

 

この桜実神社から約1.5キロ北東には「宇迦斯神魂」を祀る

『宇賀神社』が」あり、付近にはエウカシの邸宅と殿があったと

される高台があります。

 

 

 

やがて兄のエウカシを討伐したイハレビコ一行は宇陀(奈良県宇陀市)を攻略。

 

その後「古事記」では、そのま忍坂(おしさか・奈良県桜井市忍坂)に入ったと

記述されています。

 

 

一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。

《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を

のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。

叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂

(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

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一番最初の天皇 神武天皇  ⑲

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の19回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

一方、日本書紀では戦略の練り直しを迫られたと記述があります。

《彼の兔田(うだ)の高倉山のいただきに陟(のぼ)り、域内(くぬち)を

のぞみたまふ。時に国見丘の上に則ち八十臬師(やそたける)有り。

叉女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂に男軍を置き、墨坂

(すみさか)に焃炭(おこしずみ)を置く》瓮

 

この高倉山は、宇陀松山城があった古城山か、高倉山顕彰碑が立つ

高角神社付近が候補地だといわれています。

 

《賊虜(あなども)の拠る所は皆是要害の地なり。故、道路絶え塞り、

通ふべき処無し》

 

奈良盆地に通じる峠道はすべて、ヤソタケルによって封鎖されてしまいました。

 

その夜、困惑したイハレビコが祈誓(うけい・神意をうかがう占い)を立てて

休むと、夢の中に天神(あまつかみ)が現れて窮余の一策を授ける。

「天香山(あまのかぐやま)の社の中の土(はに)を取りて、天平瓮(あまの

ひらか・平らな皿)八十枚(やそひら)を造り、あはせて厳瓮(いつへ)

(神酒を入れる清浄な瓶)を造りて、天神地祇あまつかみくにつかみ)を

敬(ゐやび)祭り、また厳呪詛(いつのかしり)をせよ。如此(かく)せば

虜(あた)自づから平伏(むきしたが)ひなむ」

 

夢のお告げの通りに厳呪詛が行われたのは、丹生川神社(にうかわじんじゃ・

奈良県吉野村)のそばで、三本川が合流する仙境「夢淵」と伝わっています。

(写真は「丹生川神社」公式HPよりお借りしました)

 

イハレビコはそこでも、水中に厳瓮を沈めて誓約を立てた。

 

イハレビコはその後、厳瓮の神饌を食し、敵陣に向けて出陣します。

 

niukawakami-jinja.jp

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

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ブッタ「感興のことば」から学ぶ  ❾ 「非難」

 

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46

「沈黙せる者も非難され、多く語る者も非難され、

すこしく語る者も非難される。

世に非難されない者はいない」

 

 

 

〇ノ丞:人の口には戸はたたぬ、というように、日々の日常生活の

中で、ほとんどの人が経験する「非難」「陰口」「誤解」「曲解」

など。

 

人間て心で思うことには制限がなくて、それそれが育った環境や境遇、教育

などによって思い、考え、話しをします。

全ての人が正しく物を見てくれればいいのですが、それぞれが先入観を持って

いたり、物事を部分的にしか見ていなかったりして、中々そうはいきませんね。

 

 

『十人十色』

 

 

例えば10代の学生時代のときなどのように、まだ世間的にも視野が広くなく、

経験もまだ少ないと、ちょっとしたことで判断を間違えたり、あるいは辛い状況

に自分を追いやったりしてしまうことも少なくありません。

 

 

高いところから視野を広く見渡せば、人間の思うことや話しなども、案外いい

加減なもの。

それは、自分自身にも胸に手を当てて考えてみれば、思い当たることは数限り

なくありますね。

 

 

そこで、上記のブッタの言葉のように、誰もかれも結局は非難される、人間の見方

や判断もあてにならないところもあるのだから、すべてのことに心を惑わすことも

ない。

 

かといって、すべての意見をなおざりにしてもいけませんが、この世の人間の

やることにはどうしてもこういった面があるよ、とでも覚えておけば、ある程度

気は楽になるでしょう。

 

そして、迷う時間も減って、その分を自分のやるべきことに使って邁進する方が、

自分の人生にとって良いのでは、と思います。

 

 

今日も性懲りもなく、人を「非難」してませんか・・・?

 

ブレーキ、ブレーキ・・・を心掛けたい(*_*;

 

 

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑰ 八咫烏の登場

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の17回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

熊野の荒ぶる神を倒したイハレビコ(後の神武天皇)。

その後高天原からの支援が引き続き行われます。

 

古事記

「高木大神(たかきのおおかみ)の命以(も)ち、覚(さと)し白(まお)

さく『天つ神の御子、此れより奥つ方にな入り幸(い)でましそ。荒ぶる

神いたし多し。今天より八咫烏(やあたがらす)を遣はさむ』

 

 

 「此の鳥の来ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。我が皇祖(みおや

天照大神、以ちて基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲せるか」

 

イハレビコは八咫烏の船頭で熊野の山を越えていきます。

 

 

この八咫烏熊野本宮大社の摂社として、八咫烏社が明治22年まで熊野川

沿いの大斎原に祀られていましたが、後に川の氾濫で流失していまいました。

 

 熊野本宮大社

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(写真は熊野本宮大社HPよりお借りしました)

www.hongutaisha.jp

www.hongutaisha.jp

 

 

その後、八咫烏の導きで「吉野河の河尻」に至ったイハレビコ(後の神武天皇)は、

三人の国つ神(地上の神)に出会います。

「汝は誰ぞ」

そのように問うイハレビコに対し、国つ神らは

「僕は国つ神、名は贄持之子(にへもつのこ)と謂(い)ふ」

「僕は国つ神、名は井氷鹿(ゐひか)と謂(い)ふ」 

「僕は国つ神、名は石押分之子(いはおしわくのこ)と謂(い)ふ」

 

「今天つ神の御子幸行でますと聞く。故、参向かへつるのみ(天つ神の

ご子孫がお出でになると聞き、お迎えに参りました)」

 

この贄持之子は

「時に筌(うへ)を作り魚取る人有り。此は阿陀の鵜養(うかひ)の祖」

竹で編んだ筒状の道具で漁をし、阿陀の地で鵜飼いを生業とする祖先。

 

この井氷鹿は

「尾生(お)ふる人井より出で来。其の井光有り」

 

この石押分之子は

「また尾生ふる人に遇へり。此の人巌(いはほ)を押し分けて出で来」

 

「尾生ふる」とは、木こりなどが尻当てを垂らしている姿がそう見えた

と言われています。

 

阿陀の鵜養(うかひ)の祖となった贄持之子とのゆかりを思わせる神社

「阿陀比売神社」が奈良県五條市原町にあります。

                                          ☟

www.library.pref.nara.jp

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

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