みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きです。
「音もなくかもなく 常に天地(あめつち)は書かざる
経(きょう)をくりかえしつつ」
「此(かく)のごとく日々、繰り返し繰り返して
しめさるる、
天地の経文に誠の道は明(あき)らかなり」
〇ノ丞):二宮尊徳公は、皆さまがご存じの通り、幼い頃から家の農作業を
手伝い、夜は本を読んで勉強した苦労人です。家の没落をその勤王精神で
克服し、借金を全て返済して、失われた先祖伝来の田畑も全て取り戻した
方です。
そのような農業の体験から、自然の働きを通して、そこに真理・摂理がある
ことに気付かれたのでしょう。つまり仏典や他の聖典に書かれていることが、
自分の周りの自然に既に示されているのだ、ということを仰っておられるの
だと思われます。
春が来て種を蒔き、夏がきて作物は育ち、秋がきて収穫する。冬がきて雪が
降ることで大地が殺菌されて、再び春がくる。
そのような、ごく当たり前のことが、実は誠の道を指し示しているので
ある、と。
仏教にはたくさんの経文があります。しかし、二宮尊徳翁は自然の営みや運行
はすでに誠の道を示している、しかもわざわざ人に誇ることもなく、淡々と
その動きは続いていく。
それがすべて示しているではないか?と。
この「二宮翁夜話」の冒頭では、さらにこのように書かれています。
「天地を以て経文とす」
(てんちをもってきょうもんとす)
「二宮翁夜話」は、冒頭からこのような「誠の道とは」から入っていきます。
つづく