中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

内掌典に生涯を捧げた宮中女官  高谷朝子さん 3

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回に引き続き、宮中祭祀を司る掌典職内掌典(ないしょうてん)として、

1943年から2001年まで57年間も皇室に仕えられた「高谷朝子」

さんのご紹介です(高谷さんは2018年に亡くなられています)。

 

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(出典:宮中賢所物語)

 

 

この内掌典とは、皇居内にある宮中三殿賢所皇霊殿、神殿)という、

皇居の中でももっとも神聖な場所・賢所(けんしょ・正式にはかしこどころと読む)の

御用を勤められる女性のことです。

 

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 高谷さん「この賢所に、私は57年間勤めさせていただきました。

内掌典(ないしょうてん)と申します。

常に御殿のお側にお仕え、御三殿をお護り申し上げ、御本殿に御祭り

申し上げます神様にお仕え申し上げますのが、私どもの御用でございます。

 

内掌典は、表向きの皇室行事とはまったく関係なく、遠い昔から続けられ

てきました御殿の御神事、御殿の御用をさせていただき、古のしきたりの

中で過ごします。お清めのこと、御所言葉、また普段の生活も、代々の

お方様から受け継がれました伝統を、いまもお護り申し上げております」

 

「皇室文化に対する深い憧憬を求め、ひたすら賢所にお仕えされます

心清らかな方々によって、作法やおしきたりはすべて口伝(くでん)

で代々受け継がれてまいりました内掌典でございます」

 

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「明治時代にお勤めあそばした高木内掌典、大正後期よりお上がりあそば

した三上内掌典は、五十余年を神様の御用にお捧げあそばしました。

そして五十数年間、賢所様の尊い御用をさせていただきました私が下が

らせていただきました」

 

 

〇ノ丞):高谷さんまでの間、この八咫鏡の形代が祀られている賢所

の御用を、宮中に住み込みで代々の独身の女官達が受け継いでこられた

のでありました。そして内掌典の仕事内容は一切書き残すことが許されて

おらず、先輩の内掌典から教えられる御用のひとつひとつを口頭でのみ

伝えられ、必死に記憶しながら身に付けてきたのです。

 

現在でこそ4年任期となり、退職して結婚する女性も多いが、かつての

内掌は一生その任に当たった。そういう意味で、高谷さんは内掌典職に

生涯を捧げた最後の方といえます。

 

 

 

  ~4に続く~

 

 

 

 

 

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尖閣諸島に正当な調査を再開しましょうと下村政調会長に申し入れました(参議院議員 青山繁晴ブログより)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は、自由民主党参議院議員青山繁晴」さんのブログからの

転載です。

自民党の「尖閣諸島の調査・開発を進める会」による提言です。

 

 

2020-10-23  15:25:53

 

 
自由民主党本部の政調会長室です。
 下村博文・新政調会長から「一瞬だけ、マスクを外しましょう」と提案がありました。 ぼく(青山議員)はマスクを手に持っています。



 この議連(尖閣諸島の調査・開発を進める会)の両トップである稲田朋美・元防衛大臣山田宏・元防衛政務官の発言のあと、不肖ぼく(青山議員)
が発言しています。会の要請のポイントは3つです。

(1)尖閣諸島の調査を実施するための議員立法を新たに進めること
(2)政権を奪還した西暦2012年の総選挙では、尖閣諸島に公務員を常駐させるのを公約しておきながら、自由民主党はその後の選挙ではこれを公約していない。次の総選挙では必ず、公約に戻すこと。
(3)尖閣諸島をめぐっては、党の正式機関や議連でいくつか同時進行で議論している。これを整理して、必要なら新たなPT(プロジェクトチーム)も立てること。

 下村政調会長からは「基本的に目指すものは同じなので、リーダーシップを持って整理して、前へ進める」という趣旨の回答がありました。

▼申し入れの終了後、ぼくから下村政調会長に「武漢熱をめぐる海外同胞の支援について、党の案はいったん政府から拒絶されました。しかしその後、菅総理と不肖わたしとの協議に基づいて、関係省庁が今、新案を作成中です。いずれ外交部会と党政調の正式な案にするかどうかのプロセスに入ってくださることを希望しています」という話を簡潔にしました。
 この話はすでに、佐藤正久外交部会長に、先に、してあります。
 すなわち、決して諦めたり断念することなく、正しい手順を踏んで再び、進めています。
 
 
 
 
〇ノ丞):現在、国会閉会中ではありますが、自民党の議員達は国民の見えない
ところで、日夜こうした提言をしたり、また朝8時から色々な部会を開いて勉強
したりと働いています。
 
野党はというと・・・何してるんだろう?(?_?)
 
 
 
 
 
 
 

〝慈悲”ということば (阿含経)

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は「阿含経を読む 1」という本から、お釈迦様の素晴らしい

ことばが載っていましたので、それをご紹介いたします。

 

P232『「慈教」(じきょう・小部経典、経集、1,8)と名づける

一経があります。比丘(びく・修行僧のこと)たちは、人なき静処に

ひとり坐して修行するとき、これらの章句を念誦(ねんじゅ)して坐する

をならいとしたということであります』

 

 

”慈悲のことば”

 

よく教えの道理を会得したものが、

自由の境地をえてのち為すべきことはこれなり。

有能、率直、そして端正なること、

よき言葉を語り、柔和にして、高慢ならざること。

 

足ることを知りて、養いやすきこと、

雑事にかかわらず、簡素に生くること、

五根を清らかにして、聡明、謙虚なること、

檀越(だんおつ)の家におもむいて貪(むさぼ)りなきこと。

 

卑賎なわざをなして識者の非難をうくるなかれ。

ただ、かかる慈しみのみを修すべし。

生きとし生けるものの上に、

幸いあれ、平和あれ、安楽あれと。

 

あたかも、母性がそのひとり子を、

おのが命を賭してまもるがごとく、

生きとしいけるものの上に、

かぎりなき慈しみの思いをそそげ。

 

また、一切世間のうえに、

かぎりなき慈しみをそそげ。

上にも、下にも、また四方にも、

うらみなく、敵意なく、ただ慈心をそそげ

 

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〇ノ丞):とても味わい深いお言葉ですね。

お釈迦様の心の中というのは、このようなものなのでしょう。

 ちなみに、阿含経とは初期仏教の経典の一つ。

 

当ブログでたまに記事にあげます「ブッタのことば」(スッタニパータ)

原始仏教聖典といわれています。

 

 

 

女性天皇とは  その2

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の女性天皇の続きです。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Empress_Suiko_2.jpg/270px-Empress_Suiko_2.jpg

(出典:ウィキペディア推古天皇像』)

 

 

今までの女性天皇のうち8方中6方は皇女(こうじょ・天皇の娘)で、

1方が皇孫(こうそん・天皇の男系の孫)、あと1方が皇曾孫(こうそうそん・

天皇の男系の曾孫)でありました。

 

このように歴代の女性天皇は、全方が天皇の「男系の子孫」に当たります。

この「男系の子孫」とは、父親を辿ると、初代天皇神武天皇にまで行き着く人

のことをいいます(海外で説明するときは、男系よりも父系『Father‘s line

』というとすぐわかるようです。日本でも男系と言うより、父系という言い方

の方が理解しやすいのではないかと思われます)。

 

この女性天皇が一代限りだったこともあり、女性天皇の後は本来皇位に就く

べき男系の男子に皇統が戻るので、皇位はこれまで126代と例外なく

歴代天皇の男系の子孫によって継がれてきました。

 

 

さて、多くの女性天皇が出現した奈良・飛鳥時代というのは、まだ皇位継承

制度が整う前で、その頃は皇太子の制度も明確になっていませんでした。

そのため、天皇の代替わりのときに混乱が生じやすく、次に男系男子が皇位

就くまでの間、暫定的に女性が天皇になることがあったのです。

 

 

その最初の女性天皇である推古天皇(すいこてんのう)は、欽明天皇

きんめいてんのう)の皇女で、同時に敏達天皇(びだつてんのう)の皇后

でありました。

 

 

その3につづく~

 

 

 

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尾張式内社を訪ねて 63 宅美神社(一宮)

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する尾張式内社は「宅美神社」(一宮)です。

令和2年 10月18日訪問

 

愛知県一宮市西大海道中山73

 

御祭神

武田王(たけだのおおきみ) ※日本武尊の(やまとたけるのみこと)の御子

 

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由緒記
式内 宅美神社
祭神 武田王
当社ハ本国神名帳従三位宅美天神ト見エ日本武尊ノ御子仲衷天皇ノ皇子武田王ヲ奉祀ス。
王ハ丹羽建部君ノ御祖ニシテ此ノ地ニ在ラセラレ土地ヲ墾キ産業ヲ勧メ美術工芸ヲ指導守護シ給ヲ古来此ノ地ヲ工ト称シ奉ル所以モ亦是ニ起因セリ。
御所屋敷跡ハ現在ノ参道西南部一体デアル。
附記
建部ノ制度
景行天皇日本武尊ガ伊勢ノ能褒野ニ薨ゼラレシヲ痛ク悼マセラレテ其ニノ御各代トシテ諸国ノ建部ヲ置カレシガ、当国ノ建部ハ尊ソ御子武田王ガ卒ヒラレタ、ソレガ丹羽建部君デアル。
昭和7年4月29日

 

 

こちらの宅美神社の名称の由来は、工(たくみ)という氏族の祖を祀った氏神(うじがみ)様であると言われています。

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武田王(たけだのおおきみ)は日本武尊の(やまとたけるのみこと)の御子で、この地に

屋敷を構えていたとされる。その屋敷跡は参道の手前一帯といわれています。

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野鳥も急遽駆けつけて、友情出演してくれました(多分・・・)

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武田王が当地に居を構え、土地を開墾した。王は工氏の祖とされ、崇敬されてきたことも

伺えます。諸国に建部(たけべ)を置いて、土地が開墾されるようになった経緯の説明も

由緒書きには付けられています。

 

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今回で2度目の訪問となります。

 

今回、どの式内社にしようかと考えていたとき、ふとこちら宅美神社が気になり、訪問しに行ったところ、丁度総代さんが境内を掃除をしておられたので、「こちらのご朱印はありますか」と話しかけてみました。

そうしたら「御朱印はないけれど、いま中に入って参拝してもいいよ」

と気軽に声をかけて下さいました。

 

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ということで、御垣内に入らせて頂きました。

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二礼二拍手一礼(最敬礼)

本殿の近くにて、直に参拝させていただきました

 

 

こういう歴史の古い、格式のある神社で、境内で掃除している人がいたら、話し

かけてみると、こういった幸運に恵まれることがあります。

もちろん、神社や皇室、古事記日本書紀などの知識があれば、どんな人でも

ある程度話しを合わせられるので、私はよく気軽に声をかけてみます。

(もちろん色んな方がいますが・・・)

境内を掃除されておられる方は、総じて氏子総代さんが多くて、私はその

お社の由緒などを聞くのが楽しみなのです。

また、そういう交流を通して、そこの神様とも親しくなれるような気がします。

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さっきまで曇っていましたが、ちょうど日が差してきました

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まだ名残惜しかったのですが・・・

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一礼 ありがとうございました

 

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総代さんは、他に2つの神社の掃除があるんだ、と言ってそそくさと自転車で

去っていかれました。

 

こちらの神社は、とても雰囲気がいい、居心地のよい神社で、祈りも

落ち着いてできます。

また、周りが木で囲まれているので、鳥のさえずりを聴きながら、心地よい

時間を過ごすことができます。

 

 

ちなみにこの「宅美神社」、いつもこの名を見ると歌のお姉さんの宅美

姉さんを思い出すんだよなあ・・・(って、超余談)。

なお、こちらのお社には専用駐車場はありませんので、近くのスーパーに

車を止めての参拝となりました。

 

 

 

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菅首相 初外遊 「対中国で同じ目線に」 朝日新聞より

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は、菅(ガースー)首相の初外交の記事に、少々解説を交えながら

語ってみたいと思います。

 

 

 

10月18日の朝日新聞から

 菅義偉首相が就任後初の外遊に臨む。海洋進出や経済などの点で中国の存在感が強まる東南アジア地域で日本の影響力を維持、発展させるのが狙いだ。領有権問題などで中国に対する警戒感が広がる同地域には、日本に期待する声もある」

 

「中国の影響力が増している東南アジア諸国連合ASEAN)の中でも、南シナ海での領有権をめぐって中国と対立するベトナムと、中国への警戒を強めるインドネシアを最初の外遊先に選んだ」

 

〇ノ丞)解説:さて、首相就任後の一番最初に行く外遊先というのは、今日本に

とってもっとも重要な国である、ということを国際的にアピールするということ

にもなります。

それで、一番先に選んだ外遊先が「ベトナム」。

その理由が

  ↓↓

 

ベトナムは今年のASEAN議長国、インドネシアは世界4位の人口約2億7千万人を抱える地域の大国だ。今後の対中関係を念頭に同地域との関係強化をねらう。ハノイでは、ASEANの地域に向けた政策演説も行う」

 

〇ノ丞): ということで、ASEAN議長国のベトナムを選び、菅政権がハッキリと

「対中国」包囲網の戦略を打ち出していることがわかります。

 

 

「菅政権は、安倍前政権が16年に発表した外交方針「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を継承する考え。同構想は中国をにらみ法の支配、航行の自由など価値観を共有する国々との連携を広げる取り組みだ。ASEANはインド洋と太平洋の結節点に位置し、FOIPの推進は「ASEANの協力なしに成り立たない」(外務省関係者)とする。政府関係者は「ASEANの国々は対中国で日本と同じ目線に立って行動することが増えていくだろう」とも話す」(記事:朝日新聞 DIGITALより)

 

〇ノ丞):これは、中国の行っている独裁、法もへったくれもない、中国の

独裁政治に対して、ASEAN加盟国で連携して中国のやり方に対抗して行こう、

ということです。

このASEAN加盟国の中には親日の国が多く、ASEAN加盟国の側からも

日本の技術力や経済力に期待しています。

 

 

ちなみに、中国のミサイルの中には、日本に照準を合わせてあるものがあり、

日本の複数の都市にも照準が合わせられている、って知ってましたか?('Д')

日中友好とか掲げながら、ミサイルを日本に向けてるって・・・?(?_?) 

 

 

 

こころのつぶやき 人生の暗黒面

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誰しも 自分の人生を振り返ると

 

暗黒面があると思う

 

ある人は その暗黒面に負けて 支配されて

 

苦しみ続け 恨み続ける

 

しかし ある人は その暗黒面から 自身を光らせ

 

その意味を知る

 

どん底を 暗黒を 体験したからこそ わかることがある

 

どん底が 暗黒があるから 

 

人は成長することを 覚える

 

それもまた 人生の一面