中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

仁徳天皇 「民のかまど」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

 

 

今回は、有名な新古今和歌集707の和歌「民のかまど」

をご紹介いたします。

 

 

「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 

民のかまどは にぎはひにけり」

 

なぜ、この和歌をご紹介したかといいますと、古代は天皇が政治と

祭祀を司っていた=祭政一致、という歴史があります。

 

政 まつりごと (国内の政治を行う)

祭 まつりごと (祭祀を行う)

 

両方をそう読んでいました。

日本国の象徴である、天皇の歴史において、それこそ象徴的なエピソード

といえば、この「民のかまど」の話しがあります。

 

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●「民のかまど」とは

 

古事記より~

天皇は高い山に登って四方の国を見て「国の中に煙が経っていないのは、国が

貧しいからだ。今から三年間人民の税負担を免除せよ」と命じた。そのため

宮殿は壊れて雨漏りがしても修理せず、箱で雨水を受けるし、雨漏りして

いないところに移ったりしていた。

 

続きはー『日本書紀』から

その後、気候が順調で五穀豊穣。三年間で民衆は豊かになり、徳を称える声

が満ち溢れて、炊事の煙ももくもくあがった。

 

さて、天皇が高台にいて遠くを望むと、煙が盛んにあがっている。その日

天皇は皇后に語った。

 

天皇「私は豊かだ。憂い事はない」

皇后「どこが豊かでしょうか」

天皇「煙が国に満ちている。人民が富んでいる」

皇后「でも宮の垣は壊れて修理もできない。屋根は破れて衣服が濡れます。

どうして豊かといえましょう?」

天皇「天が君主を立てるのは人民のためだ。だから君主は人民を本とする

のだ。ということで、昔の聖王は人民が一人でも飢え凍えていたら、わが身

を責めたのだ。

今人民が貧しいのは私が貧しいことであり、人民が富んでいるのは私が

富んでいるということである。未だかつて、人民が富んでいて君主が

貧しいということはない」と仰せになりました。

 

 

以上、仁徳天皇は三年間の租税免除を通して、人民を救おうとされました。

でもご自身の宮殿はボロボロとなり、国庫も空の状態でした。

 

以前に上げました記事の中で、西洋の君主・国王と日本の天皇の違いについて

書きましたが、ここなのです。

 

西洋の国王や皇帝の多くは、贅沢をし、私腹を肥やし、その結果民に襲われ

ないように城の塀を高くし、我が身や家族の身の安全を確保しようとして

きました。

一方、京都御所の塀はとても低く、誰でもすぐ越えれる 高さしかありません。

それは、民に襲われる心配がないからです。

 

 

なぜなら歴代天皇は、疫病が流行ったり、飢饉となると

「責めはわれ一人にあり」

として、ご自身の不徳のなさを神々に詫び、そして神々に民が救われる

ように祈りを捧げられてきたのです。

そして民のことを「おおみたから」とも呼んでいました。

それは民の父母のごとく、民を我が子のように思うからこそ出たことば

だといえましょう。

 

これが、日本の政治の原点であり、日本国の象徴的な姿であるといえる

と思います。そして日本国を統合し、天皇と国民をつなげている

ものであるともいえるでしょう。

 

 

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