(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の21回目です。
<前回の続きから>
《また兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)を撃ちし時に、御軍暫
(みいくさしま)し疲れぬ》
一方、日本書紀では
《皇師(みいくさ)、大きに挙(こぞ)りて磯城彦(しきひこ)を攻めむ
とし、先づ使者を遺し兄磯城(えしき)を徴(め)さしむ》
ここでの磯城彦とは磯城という地域を治める兄磯城、弟磯城の二人の総称。
古事記が書く兄師木・弟師木のことです。
イハレビコは使者として八咫烏(やたがらす)を送ります。
呼びかけに応じ、参上したのは弟磯城で、帰順した後、こう告げます。
《我が兄兄磯城、天神の子来(い)でますと聞(うけたまは)り、則ち
八十梟(やそたける)帥をあつめ、兵(つはもの)を具へ、与(とも)に決戦
(たたか)はむとす。早く図りたまふべし》
弟は兄を討伐するよう、イハレビコに進言します。
イハレビコは椎根津彦(しひねつひこ)の献策で忍坂から軍を発し、鬼磯城
が全軍で迎撃に出たところを墨坂を越えた別軍に挟撃させて、鬼磯城と
八十梟帥に勝利します。
現在、三輪山の麓には弟磯城の子孫が創建したとされる志貴御県坐神社
(しきのみあがたにいますじんじゃ)が残っています。
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(出典:「歴史人」より」