(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の15回目です。
<前回の続きから>
その後イハレビコは、現在の和歌山市内の名草山付近に勢力を持つ名草戸畔という
首長を討伐した。
《日本書紀》
「海中(わたなか)にして卒(にわか)に暴風(あからしまかぜ)に
遇い、皇舟漂蕩(みふねただよ)ふ」
イハレビコ(後の神武天皇)一行の船は紀伊半島にそって進んでいた時、暴風に
遭ってしまします。
イハレビコは
「嵐から兵をお守り下さい。どうか一刻も早く嵐を鎮めて下さい」
と天神(あまつかみ)・海神(わたつかみ)に祈られました。
すると、小さい時に母の国である海原にいかれたという兄の稲飯命(いなひの
みこと)と、海の波の上を渡って常世(とこよ)の国にいかれたというもう一人
の兄の御毛沼命(みけぬのみこと)のお姿が嵐の中に立ちあらわれました。
すると、嵐は止み、波も静かになり嵐は立ち去りました。
熊野の二木島湾の荒坂津に船をつけられたイハレビコは、天神と海神が稲飯命
と御毛沼命をつかわして海を鎮めて下さったのだと、天神・海神にお礼を
申しました。(以上は古事記の説)
この二人の兄は、三重県熊野市の二木島湾の牟婁(むろ)崎に鎮座する
室古(むろこ)神社には稲飯命が、英虞(あご)崎にたたずむ阿古師
(あこし)神社には三毛入野命がそれぞれ祀られています。
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その後、熊野の荒坂津(あらさかつ)に上陸し、
「因(よ)りて丹敷戸畔(にしきとべ)といふ者を誅(う)つ」(日本書紀)
と、地元の首長を討伐しました。
しかし丹敷戸畔を討った後、イハレビコの一行は
「時に神、毒気を吐き、人物咸(ことごとく)に瘁(を)えぬ」(日本書紀)
熊に姿を変えた地元の神の毒気によって、イハレビコも兵士も気を失って
しまいます。
(出典:「歴史人」より」