中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

尾張式内社を訪ねて 60 立野神社

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

久しぶりに尾張式内社の記事です。

 

今回は「立野神社」です。

 

 

愛知県犬山市上野郷 1506

 

御祭神

菅原道真

応神天皇

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

 

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こちらのお社は、もともとは「立野天神」と呼ばれていました。

天神社といえば菅原道真公のことですね。他には「天満宮」ともいいます。

拝殿右に牛さんの像が見えていますが、この牛もセットで置かれている事が多い

ですね。

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境内社 赤の鳥居なので稲荷社です

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↑実は、この右側に大きな木があるのですが、このとき巨大なスズメバチが止まっていて、かなりヒヤヒヤしながらの参拝&撮影でした( ;∀;)

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御本殿

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ちなみに他の祭神の応神天皇は第15代天皇玉依姫命は海神の娘で、神武天皇

母君です。


立野神社の規模は村社なのでこじんまりとした感じのお社ですが、個人的には

とても雰囲気がよくて、爽やかな感じがして、結構好きな神社です。

参拝は2回目でありますが、前回同様、祈りの時間はとても心地良かった

ですね。

 

なお駐車場ですが、隣にコミュニティセンターがあって、その駐車場に

止めて参拝いたしました。

神社周辺の道は比較的狭いので、ご注意下さい。

 

 

 

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最後の宮大工 西岡常一 ❾ 「木に学べ」

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの9回目になります。

 

今回からは、御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介

いたします。

 

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(出典:「木に学べ」)

法隆寺

 

 西岡さん「ふつうの大工と宮大工どこが違ういわれましたらな、ふつうの

大工さんは坪なんぼで請け負うて、なんぼもうけてと考えるやろ。

わたしらは堂や塔を建てるのが仕事ですがな。仕事とは『仕える事』と

書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるいうことです。

もうけとは違います。そんだけの違いです」

 

「そやから心に欲があってはならんのです。彫刻する人が仏さん彫るとき、

一刀三礼といいますわな。わたしたちは『一打ち三礼』ですな。

『千年もってくれ、千年もってくれ』と打つわけですな」

 

「無になって伽藍建てるわけですな。ですから、どんな有名なお寺見て

もらっても。棟梁の名前なんて書いてありませんでっしゃろ。自分が自慢

になるからせなんだんや。とにかく、自分で仏さんにならんと堂を作る

資格がない、神さんにならんとお宮さんやる資格ないといわれています

 

 

 

〇ノ丞):まあ、この言葉にとやかく言う必要がないくらい、厳しくも

こんなに宮大工の神髄を語った言葉はないですね。

 

自分の心に欲を持っていたなら、宮大工を名乗る資格はない。

その欲をまずもって捨てて、神や仏と同じ心になってこそ、堂塔を建てる

ことが許される。

 

個人的にも私は仕事上、職人の部類に入りますので、その職人の気性という

ものには、経験上少しはわかるつもりです。

 

長年の蓄積により技術が向上するにつれ、良い面も出てくれば、その反面

色々な悪い面も出てきます。

良い面は、その技術でもって世の中のお役に立てる、とか給料が上がったり

とか。

 

悪い面とは、腕が上がると、どうしてもそれを誇ったり、ノボせたり、しまい

には天狗になったり・・・

 

技術職の人間にはよくありがちなケースではあるのですが、やはりそこに

大切な「心」がスッポリ抜けているのですよね。

 

まあ、そのことに気付かないまま終わってしまう人間もいて、いわゆる

「金儲け」に走ってしまうのが、現代の世の中では多いのかな・・・

 

最後の宮大工、西岡常一さんに学ぶことは多いですね。

 

 

  

 ~❿に続きます~

 

 

 (西岡常一さん)

 

 

 

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旧皇族、11宮家について ⑤ 「宮家とは」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の続きになります。

 

さらにその後、新しい宮家から分立する宮家もあり、明治期に宮家の

数が増やされ、その後は増減を繰り返しながらも、終戦時には伏見宮

系統の11の宮家が存在していました。

 

その伏見宮は600年も昔に天皇家から分立した家ですから、天皇家

から相当の隔たりがあると思うかもしれません。しかし伏見宮天皇家

は600年間、お互いに娘を嫁がせながら、常に近い関係を保ってきたの

です。

 

明治天皇の皇女のうち、成人した内親王4方は、いずれも邦家親王の孫と

結婚し、その内の3方は新しい宮家を創設しました。

それが

朝香宮(あさかのみや)

東久邇宮(ひがしくにのみや)

竹田宮(たけだのみや)

 

の3家です。

 

さて皇籍離脱した11宮家は51名は、それまで国から生活が保障されて

いたのですが、それがなくなったために、生活費は自ら稼ぎ出さなくては

いけなくなりました。

それまで与えられていた大きな邸宅も、間もなく90%の財産税が課税

されたことで、納税するために手放さなければなりませんでした。

 

11宮家の状況は各家ごとに異なりますが、皇籍離脱当時に子供だった

世代は、その後大学を卒業して就職する人が多くいましたが、当時の

当主は、昨日まで皇族だった人がどこかに就職するというのもなかなか

難しく、苦労が多かったようです。

また皇籍離脱時に高齢だった当主は、僅かに残った財産を切り売りしな

がら生活をしていました。

 

 

 

~⑥に続く~

 

 

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ブッタ「感興のことば」から学ぶ ❻

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

ブッタの「感興のことば」から学んでみたいと思います。

 

50

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを

 見るな。

 ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ」

 

 

 

〇ノ丞):まあ誰しも他人のことが気になりますね。

 「あの人は・・・この人は・・・あ~じゃ、こー~じゃ」と。

 

でも、世の中で成功したり、功績を残している人に共通することが

あるとすると、その一つに「自分に意識を向けている。人の長所は

取り入れるが、人に依存しているわけではない」

といった所でしょうか。

 

同じように、人から何かを吸収することはとても大事なことではある

けれども、自分に与えられた時間は有限なのだから、自分の時間を

大切にするうえでも、ブッタの言われる通りに、人のことをとやかく

いうことは、あまり意味のないことなのかもしれませんね(´-`)

 

 

 

最後の宮大工 西岡常一 ➑ 「木に学べ」

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの8回目になります。

 

今回からは、御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介

いたします。

 

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(出典:「木に学べ」)

法隆寺

 

 

 西岡さん「棟梁とは何かいいましたら、『棟梁は、木のクセを見抜いて、

それを適材適所に使う』ことやね。

木というのはまっすぐ立っているようで、それぞれクセがありますのや。

自然の中で動けないんですから、生きのびていくためには、それなりに

土地や風向き、日当たり、まわりの状況に応じて、自分を合わせていかな

ならんでしょ」

 

「例えば、いつもこっちから風が吹いてる所の木やったら、枝が曲がり

ますな。そうすると木もひねられますでしょう。木はそれに対して

ねじられんようにしようという気になりまっしゃろ。

こうして木にクセができてくるんです」

 

 

「木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりま

せんが、木のクセをうまく組むためには人の心を

組まなあきません」

 

 

「『木を組むには人の心を組め』というのが、まず棟梁の役目ですな。

職人が50人おったら50人が、わたしと同じ気持ちになってもら

わんと建物はできません」

 

 

〇ノ丞):西岡さんは、代々法隆寺の宮大工の家系に生まれられ、幼い

頃から、祖父に将来棟梁となるべく育てられました。

他の子供が遊んでいるときも、祖父に付き添って宮大工の仕事を

目で見て覚えるという修行を課されて、ロクに遊ばせてはもらえなかった。

 

しかし、宮大工とは仏様を祀る建物を建てる仕事であるので、ある意味

神社の神職さんや僧侶と同じく、神様や仏様から見られても恥ずかしくない

生き方を求められるという立場なのでした。

 

それゆえに、身も心も生活も、全てを伽藍や堂塔を建てるうえでも欲を

持たず、法隆寺が創建された当時の、飛鳥の時代の名人たちに恥じない

仕事をすることが大事なのでした。

 

その代々伝えられてきた「口伝」が、

 

堂塔の木組みは木の癖組み

 

木の癖組みは工人等の心組み

 

工人等の心組みは匠長の工人等への思いやり

 

として、西岡さんに受け継がれてきたたのでした。

 

 

 

 ~❾に続きます~

 

 

 (西岡常一さん)

 

 

 

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旧皇族、11宮家について ④ 「宮家とは」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の続きになります。

 

宮家とは、元は室町時代に作られた制度で、いざ天皇家が断絶しそうになった

天皇を出す役割を担いながら代々世襲される家のことをいいます。

室町以降は皇統断絶の危機が2回ありました。

1回目は伏見宮(ふしみのみや)から天皇を出し、もう1回は閑院宮(かんいん

のみや)から天皇を出すことで皇統は保たれました。

 

そして、現在の皇室は、閑院宮の血を引いていらっしゃいます。

 

また江戸期には4つの宮家がありました。

伏見宮

桂宮

有栖川宮(ありすがわのみや)

閑院宮

の4家です。

 

しかし、その内3家は継承者不在で既に断絶となり、終戦時には

伏見宮だけが残っていました。

 

昭和22年に皇籍離脱した11宮家は、全て伏見宮の系統になります。

その伏見宮が創設されたのは今からおよそ600年前の南北朝時代で、

初代伏見宮北朝第3代・崇光天皇(すうこうてんのう)の第一皇子

でした。

 

その後江戸末期には、伏見宮第19代邦家親王(くにいえしんのう)が

子沢山に恵まれたため、明治維新後に8つの宮家が伏見宮から分立し

ました。

さらにその後、新しい宮家から分立する宮家もあり、明治期に宮家の

数が増やされ、その後は増減を繰り返しながらも、終戦時には伏見宮

系統の11の宮家が存在していました。

 

 

 

~⑤に続く~

 

 

こころのつぶやき  祈り

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思い・祈りはエネルギー

 

だから 作用と反作用を生む

 

一人の小さな ささやかな祈りでも

 

それが何万というエネルギーともなれば

 

大変なエネルギーとなる

 

もちろん 誰かを助けるとか

 

誰かの幸せを祈る

 

そういった祈りが望ましいのだが