みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの8回目になります。
今回からは、御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介
いたします。
(出典:「木に学べ」)
(法隆寺)
西岡さん「棟梁とは何かいいましたら、『棟梁は、木のクセを見抜いて、
それを適材適所に使う』ことやね。
木というのはまっすぐ立っているようで、それぞれクセがありますのや。
自然の中で動けないんですから、生きのびていくためには、それなりに
土地や風向き、日当たり、まわりの状況に応じて、自分を合わせていかな
ならんでしょ」
「例えば、いつもこっちから風が吹いてる所の木やったら、枝が曲がり
ますな。そうすると木もひねられますでしょう。木はそれに対して
ねじられんようにしようという気になりまっしゃろ。
こうして木にクセができてくるんです」
「木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりま
せんが、木のクセをうまく組むためには人の心を
組まなあきません」
「『木を組むには人の心を組め』というのが、まず棟梁の役目ですな。
職人が50人おったら50人が、わたしと同じ気持ちになってもら
わんと建物はできません」
〇ノ丞):西岡さんは、代々法隆寺の宮大工の家系に生まれられ、幼い
頃から、祖父に将来棟梁となるべく育てられました。
他の子供が遊んでいるときも、祖父に付き添って宮大工の仕事を
目で見て覚えるという修行を課されて、ロクに遊ばせてはもらえなかった。
しかし、宮大工とは仏様を祀る建物を建てる仕事であるので、ある意味
神社の神職さんや僧侶と同じく、神様や仏様から見られても恥ずかしくない
生き方を求められるという立場なのでした。
それゆえに、身も心も生活も、全てを伽藍や堂塔を建てるうえでも欲を
持たず、法隆寺が創建された当時の、飛鳥の時代の名人たちに恥じない
仕事をすることが大事なのでした。
その代々伝えられてきた「口伝」が、
堂塔の木組みは木の癖組み
木の癖組みは工人等の心組み
工人等の心組みは匠長の工人等への思いやり
として、西岡さんに受け継がれてきたたのでした。
~❾に続きます~
(西岡常一さん)