中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

二宮尊徳 「二宮翁夜話」から学ぶ ①

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

約半年前に書いたこの「二宮翁夜話」の記事ですが、①を書いてから

かなり間が空いてしまいまして・・・

今回、改めてこの記事を再掲したしまして、新たに続きを書いてみたいと

思いました。

宜しければご覧下さい(^^)/ 

 

 

今からもう8年くらい前になりますか、熱田神宮において講座があり

まして、そこに当時伊勢の神宮禰宜でいらした小堀邦夫さんが

来られて講演をされました。

 

丁度次の年に伊勢の神宮式年遷宮を控えた時期で、その記念講演的

な感じだったと思います。

 

やはり伊勢の神宮禰宜をされていただけあって、普段はなかなか

聞けないような素晴らしい講演内容でした。

 

例えば、お酒のことを神社では「御神酒」といいますが、この

お酒のことを昔はただ「き」と言っていました。

それを神様にお供えするということで、「みき」となったのですが、

現在はそこに更に「お」をつけて「おみき」となっているとか・・・

 

また、縄文時代はドングリや芋類が主食だったが、

弥生時代に入ってからは、米が主食になっていった

 

縄文人の顔立ち  弥生人の顔立ちの違い

等々・・・

 

小堀さんは伊勢神宮に関する本も出しておられる学者肌の方なので、当然

博識なわけですが、私がその講演会の内容で特に印象に残っている

話しがあります。

 

それは二宮尊徳翁の話しで、詳しくは「二宮翁夜話」という

本に記されているのですが、それは

 

「音もなくかもなく 常に天地(あめつち)は書かざる

 

経(きょう)をくりかえしつつ」 

 

続けて

 

「此(かく)のごとく日々、繰り返し繰り返して

しめさるる、

 

天地の経文に誠の道は明(あき)らかなり」

 

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というお話しをされたのがとても印象的でした。

 

 

さて、文章が昔の言い方で少々わかりづらかったとは思いますが、私は

この昔の文語体の方が、その時のニュアンスを限りなく近く表現している

のではないかと思っているので、分かりづらくてもこの岩波文庫

バージョンを買いました。

 

現在は、この「二宮翁夜話」も口語訳でわかりやすく書かれて、

しかも解説もついた本が何種類か出ていますが、私は二宮尊徳から

直接聞いた、著者の福住正兄が書いたであろう文章を好んでいます。 

 

この「岩波文庫」バージョンは既に絶版で、売れないからなのか、

今は古本でしか買えなくて、定価¥720が¥3000となって

いました(>_<)

 

それでは次回に、この記事の続きを書きたいと思います。

 

 

黄金色の夕焼け

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(ふと窓を見たら、このように空が黄金色に輝いていました)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

昨日の夕焼けがあまりにも美しかったので、今回はその写真のご紹介を

いたします。

 

(なお、場所が特定される恐れがあるために、写真全体の一部を拡大して載せて

います。ほんとは写真の全体をご覧いただきたいのですが・・・残念です。

その辺りを御了解下さい)

 

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光が帯状に放射しだしました

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神々しかったです。実際は写真よりも、もっと綺麗な光り具合でした

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壮大なショーを見せていただきました。

その後しばらくして、コオロギなど虫の合唱(コンサート)が始まりましたよ(^^)

 

 

 

秋ですね。 秋にピッタリの歌は?

 

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(夕焼けの空。色あいの変化がキレイですね)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

少しずつ、季節は秋へと移ってきてますね。

 

今回は、私が「秋のあの雰囲気にはこの曲がピッタリだワイ」と思う

歌を勝手にご紹介いたします(ΦωΦ)

 

 

私がいつもイメージするのは、この「オフコース・秋の気配」です。

 

 

えっと、オフコースって知ってますかね?(?_?)

若い20代30代辺りだと知らないかな~?

たまにテレビのCMとかで「小田和正」さんの歌が流れますが・・・

まあ、この「秋の気配」も80年代初期ごろの歌なので、知ってる世代は

やはり年齢が50代以上になっちゃうかもですねえ・・・

(時代は流れるものよノオ・・・(ΦωΦ))

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もともと横浜出身の小田和正さん。

横浜に港が見える丘公園があり、その公園をテーマにこの曲を書いたそう。

 

冒頭のフォークギターとエレピ(エレクトリックピアノのこと。ヤマハCP-70

かな?)で入っていきますが、もともとは小田和正さんと鈴木康博さんがオリジ

ナルのメンバーで始まった「オフコース」。

オフコース初期は小田さんがギター・ピアノ、鈴木のやっさんがギターの編成だった

ので、この曲の入り方もそれ風ですね。

 

その後、清水仁・松尾・ジローさんの三人が加わっていきますが、この曲も丁度

2人から5人編成のグループになった頃の作品です。

この曲のイントロで、ベースが良い感じのラインを弾いていますが、これも

ベースの清水の仁さんが即興で弾いたものが、採用されたという逸話も。

 

小田さんもこの曲を気に入っておられるようで、私も歌を聴いていると秋の空が

目に浮かぶようです(´-`).。oO

まあ、この曲を聴くと少しおセンチな気分になりますが、オフコース世代の方々

なんかは、歌と思い出がシンクロしてしまって、その当時の頃の気分に戻ってし

まったり、思い出が甦ったり、なんてこともありますよね。

それは、オフコースに限らずですが・・・

 

 

てことで、今回は私の個人的な「秋の歌」を紹介してみました。

 

 

さて、みなさんは「秋の歌・曲」って、何を思い浮かびますか?

 

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(これも夕方の空ですが、黄色過ぎですよねぇ・・・)

 

尾張式内社を訪ねて 60 立野神社

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

久しぶりに尾張式内社の記事です。

 

今回は「立野神社」です。

 

 

愛知県犬山市上野郷 1506

 

御祭神

菅原道真

応神天皇

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

 

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こちらのお社は、もともとは「立野天神」と呼ばれていました。

天神社といえば菅原道真公のことですね。他には「天満宮」ともいいます。

拝殿右に牛さんの像が見えていますが、この牛もセットで置かれている事が多い

ですね。

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境内社 赤の鳥居なので稲荷社です

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↑実は、この右側に大きな木があるのですが、このとき巨大なスズメバチが止まっていて、かなりヒヤヒヤしながらの参拝&撮影でした( ;∀;)

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御本殿

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ちなみに他の祭神の応神天皇は第15代天皇玉依姫命は海神の娘で、神武天皇

母君です。


立野神社の規模は村社なのでこじんまりとした感じのお社ですが、個人的には

とても雰囲気がよくて、爽やかな感じがして、結構好きな神社です。

参拝は2回目でありますが、前回同様、祈りの時間はとても心地良かった

ですね。

 

なお駐車場ですが、隣にコミュニティセンターがあって、その駐車場に

止めて参拝いたしました。

神社周辺の道は比較的狭いので、ご注意下さい。

 

 

 

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最後の宮大工 西岡常一 ❾ 「木に学べ」

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの9回目になります。

 

今回からは、御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介

いたします。

 

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(出典:「木に学べ」)

法隆寺

 

 西岡さん「ふつうの大工と宮大工どこが違ういわれましたらな、ふつうの

大工さんは坪なんぼで請け負うて、なんぼもうけてと考えるやろ。

わたしらは堂や塔を建てるのが仕事ですがな。仕事とは『仕える事』と

書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるいうことです。

もうけとは違います。そんだけの違いです」

 

「そやから心に欲があってはならんのです。彫刻する人が仏さん彫るとき、

一刀三礼といいますわな。わたしたちは『一打ち三礼』ですな。

『千年もってくれ、千年もってくれ』と打つわけですな」

 

「無になって伽藍建てるわけですな。ですから、どんな有名なお寺見て

もらっても。棟梁の名前なんて書いてありませんでっしゃろ。自分が自慢

になるからせなんだんや。とにかく、自分で仏さんにならんと堂を作る

資格がない、神さんにならんとお宮さんやる資格ないといわれています

 

 

 

〇ノ丞):まあ、この言葉にとやかく言う必要がないくらい、厳しくも

こんなに宮大工の神髄を語った言葉はないですね。

 

自分の心に欲を持っていたなら、宮大工を名乗る資格はない。

その欲をまずもって捨てて、神や仏と同じ心になってこそ、堂塔を建てる

ことが許される。

 

個人的にも私は仕事上、職人の部類に入りますので、その職人の気性という

ものには、経験上少しはわかるつもりです。

 

長年の蓄積により技術が向上するにつれ、良い面も出てくれば、その反面

色々な悪い面も出てきます。

良い面は、その技術でもって世の中のお役に立てる、とか給料が上がったり

とか。

 

悪い面とは、腕が上がると、どうしてもそれを誇ったり、ノボせたり、しまい

には天狗になったり・・・

 

技術職の人間にはよくありがちなケースではあるのですが、やはりそこに

大切な「心」がスッポリ抜けているのですよね。

 

まあ、そのことに気付かないまま終わってしまう人間もいて、いわゆる

「金儲け」に走ってしまうのが、現代の世の中では多いのかな・・・

 

最後の宮大工、西岡常一さんに学ぶことは多いですね。

 

 

  

 ~❿に続きます~

 

 

 (西岡常一さん)

 

 

 

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旧皇族、11宮家について ⑤ 「宮家とは」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

前回の続きになります。

 

さらにその後、新しい宮家から分立する宮家もあり、明治期に宮家の

数が増やされ、その後は増減を繰り返しながらも、終戦時には伏見宮

系統の11の宮家が存在していました。

 

その伏見宮は600年も昔に天皇家から分立した家ですから、天皇家

から相当の隔たりがあると思うかもしれません。しかし伏見宮天皇家

は600年間、お互いに娘を嫁がせながら、常に近い関係を保ってきたの

です。

 

明治天皇の皇女のうち、成人した内親王4方は、いずれも邦家親王の孫と

結婚し、その内の3方は新しい宮家を創設しました。

それが

朝香宮(あさかのみや)

東久邇宮(ひがしくにのみや)

竹田宮(たけだのみや)

 

の3家です。

 

さて皇籍離脱した11宮家は51名は、それまで国から生活が保障されて

いたのですが、それがなくなったために、生活費は自ら稼ぎ出さなくては

いけなくなりました。

それまで与えられていた大きな邸宅も、間もなく90%の財産税が課税

されたことで、納税するために手放さなければなりませんでした。

 

11宮家の状況は各家ごとに異なりますが、皇籍離脱当時に子供だった

世代は、その後大学を卒業して就職する人が多くいましたが、当時の

当主は、昨日まで皇族だった人がどこかに就職するというのもなかなか

難しく、苦労が多かったようです。

また皇籍離脱時に高齢だった当主は、僅かに残った財産を切り売りしな

がら生活をしていました。

 

 

 

~⑥に続く~

 

 

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ブッタ「感興のことば」から学ぶ ❻

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

ブッタの「感興のことば」から学んでみたいと思います。

 

50

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを

 見るな。

 ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ」

 

 

 

〇ノ丞):まあ誰しも他人のことが気になりますね。

 「あの人は・・・この人は・・・あ~じゃ、こー~じゃ」と。

 

でも、世の中で成功したり、功績を残している人に共通することが

あるとすると、その一つに「自分に意識を向けている。人の長所は

取り入れるが、人に依存しているわけではない」

といった所でしょうか。

 

同じように、人から何かを吸収することはとても大事なことではある

けれども、自分に与えられた時間は有限なのだから、自分の時間を

大切にするうえでも、ブッタの言われる通りに、人のことをとやかく

いうことは、あまり意味のないことなのかもしれませんね(´-`)